第15号 2005.10.3発行 by 矢吹 晋
    『新京報』--『光明日報』と『南方日報』から
生まれたニューウェーブ
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 『新京報』という比較的新しい新聞がある。これはいわゆる「都市報」のなかで、最も注目されている新聞の一つである。歴史の長い『光明日報』(中国の知識人向けの新聞といわれる)と、中国共産党広東省党委員会の機関紙『南方日報』が合作して新たに創刊したもの。北京と広東の合作は、地域を超えた合作だと自賛する。ホームページのPRによれば、その特徴をつぎのごとくである。
 『光明日報』集団は独特の豊富な「政治的資源の優勢さ」をもち、『南方日報』集団は新聞の「市場化」において先進的経験をもつ。『新京報』は両者の特徴を活かした新聞である。『南方日報』系列の『南方都市報』のスタイルが『新京報』のモデルであり、国内ニュース、国際ニュース、娯楽ニュース、スポーツニュース、真相報道、時評などに力を入れる。さらに中国北方人の気魄の大きさ(磅礴大気)と南方人のきめ細かさ(精耕細作)という二つの特徴を備えた新聞であると自賛を続ける。
 これはコマーシャルだから、果たしてそのような新聞になりえているかどうかは、読者の判断に待つほかないが、時折、面白い評論を掲げて注目されていることは、事実である。ちなみに『新京報』のロゴマークは、万里の長城の烽火台だ。円形は地球と眼球を象徴しており、グローバルな視野で世界を見つめることを意味する由である。
 
 写真:『新京報』
 
 以下に要旨を紹介する短いエッセイも、なかなか意味深長で読みごたえがある。
 
抗日戦争期の日本軍の死者数
   中国の愛国派の論客王錦思(中国抗日戦争史学会会員)が同紙8月31日付で「歴史の精密さが謹厳まじめな国民性を鍛える」という評論を書いている。
 山東省のある抗日戦争研究者が旧日本軍の細菌戦の証拠を集めたときに、具体的な死亡者数がはっきりしなかった。そこで、彼はある有名な被害者賠償請求運動の活動家の意見を求めたところ、次のような答えが返ってきた。「あなたが死者をどれだけといえば、それが死者数だ」(原文=你説死多少就是多少!)」。この答えに接して王錦思はこう慨嘆した。「ああ、なんたることか。このような態度で調査したところで、信憑性はどこにあろうか」。
 もと中国抗日戦争史学会のある責任者は中国で戦死した日本軍を198.4万人だと考えた。瀋陽の9.18歴史博物館は日本侵略軍の戦死者を200万人として、200万人の日本女性が戦争未亡人になったという。実は日本軍の兵士の大半は未婚である。そんなに多くの未亡人はどこから生まれたのか。これらは明らかに著しい誇張である。ところで、北京の中国人民抗日戦争記念館では日本軍の死者、負傷者、捕虜は155万人だと説明している。中国人がみずから統一的な基準をもたないならば、どうして相手を説得できるだろうか。 統計の角度から見ただけでも、中国軍の死傷数字なら、なおさら正確な調査が容易なはずだが、今に至るも定論が一致していない。
 
写真
 
死者と死傷者との混同
 江沢民同志は1995年5月9日ロシア祖国防衛記念大会の講話において、中国の抗日戦争中の死傷者を3500万人とする数字を正式に提起した。抗日戦争における最も権威ある死傷者の数字をかけねなしに銘記しておくべきだといってよい。だが悲しくも可笑しいのは、多くの業界関係者(原文=許多業内人士)でさえも、「3500万人の死者」としていることだ。口を開けば負傷者を「かみ殺して」しまい、一部の者は煽情的に「4000万人の同胞が殉難した」とする。台湾のある抗日戦争記録映画に至っては、「中国の死亡者は3700万人に達して、この数字は第二次戦争の死者全体の4割である」と述べている。
 ある人の曰く、「中国は文字や紙や印刷技術を発明し、最も発達した記憶媒体をもつ。しかし、他方で重要な歴史の真相に対する記憶を喪失している。述べて作らず。清談して国を誤る。記憶することも記憶しないことも、ただ口先を動かすのみで手を動かす[調査する]ことをしない。この現象は改めるべきだ」。
 普通の国民は抗日戦争史を記憶しないとしても、具体的な情報や知識についてはおよそのことを理解しておくべきであり、重大事件の日時、場所、人物、経過は心に銘記しておくべきだ。
 ある人の曰く、「抗日戦争の史実を知らないとしても、どうということはない。心情がわかればそれでよい」。だが、王錦思はいう。実は「心情」だけでは抗日戦争を理解できない。「日本の右翼の議論を反駁できない」し、「他人を教育することもできない」。自分で記憶していないことを、どうして他人に記憶させることができようか。己が正しくないのに、他人を正しくできようか。日本人が記憶していること、中国人が記憶していることを比べて、どちらがより重要か。明らかに後者だ。
 2001年12月にある歌手が日本軍旗を身にまとった行為を全国挙げて非難した。実はメディアが日本軍旗のデザインであることを暴露しなかったならば、批判者は識別できたであろうか。抗日戦争についての最も基本的な歴史を知らないならば、誰もがこの歌手と同じ過ちを繰り返すだろう。
 
アウシュビッツの死者数
 旧ソ連の統計ではアウシュビッツ収容所の死者は400万人とされていた。ユダヤ人の学者が遺族に対する調査をもとにして1965年からは約110万人が犠牲になったという結論に至り、大幅に減少した。しかし真実を信頼するところには、十分な責任感と実事求是の精神が体現されている。さらに生命と歴史を尊重する精神が体現されている。これは現代社会の法的公正さと学術的理性の必須の条件であり、中国人が学ぶに値するものだ。
 精密な機器のみが優れた製品を生み出す。歴史の精密さこそが謹厳なまじめな国民性を鍛え上げる。歴史とは知識の累積であり、知識を検証する道具だ。人文精神を培養し、民族を伝承する根っこだ。
 中国で死去した日本軍は200万人ではなく、45万人前後である。日本軍の死者は第二次大戦における死者の約2割である。中国の抗日戦争における死者は3500万人ではなく、約2200万人であり、旧ソ連の2700万人よりも少ない----。
 ナショナリズムに頭脳を犯された一部の人々の、誇大妄想の数字にはあきれるばかりだが、時に一服の清涼剤のようなともな議論が現れて、歴史と虚構とを区別する動きが存在することを知ることができる。
 
1%を強調して99%を無視する大学教授
 もう一つ、別の話を加える。『新しい歴史教科書』が反日デモに油を注いだことは周知の通りだが、結局その採用率は0.4%にとどまった。つまり、99.6%の生徒はこの偏向教科書の被害を受けることはないことが明らかになったわけだ。
 この採用率という結果は中国でどの程度知られているのだろうか。簡単な事実の報道は行われたが、しかし、その「結果報道」は、「非難報道」と比べたら、「九牛の一毛」程度であろう。こうして中国の偏狭なナショナリストたちは、1%未満の採用率の教科書をあたかも採用率99%であるかのごとく騒ぎたて、反省するところがない。さる人がこの事実を指摘したことに対して、中国のある大学教授は、こう反駁したという。「4年前は0.01%にすぎなかった。この4年間で10倍に増えたから、この教科書問題はやはり重大だ」と。ははあ。この話を聞いて私が感じたのは、ただ一つ。中国の反日がこの程度の貧弱な論理に依拠しているのならば、語るに落ちた話だ。99%と1%の区別ができず、コンマ以下のレベルの数字について10倍だと強弁するのは、ほとんど神経症患者である。この種の非論理がいつまでももてはやされることはありえないと私は確信している。
 

               
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