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旧聞だが、アメリカの外交雑誌『フォーリン・アフェアズ』昨2005年9-10月号がZheng Bijian (鄭必堅) China’s “Peaceful
Rise” to Great-Powers StatusやWang Jisi (王輯思) China’s Search for Stability
With America a 」論文を柱とする中国特集号を編集して、米中関係を再考しようとしたことは、よく知られている。 |
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『フォーリン・アフェアズ』2005年9-10月号表紙 |

鄭必堅
http://www.chinanews.com.cn/n/
2003-11-03/26/364379.htmlより
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なぜ鄭必堅なのか。同誌は鄭必堅が中国改革開放論壇の理事長という現職(元中央党校常務副校長)を紹介したうえで、「5回にわたる党大会報告のkey
reportの草案を起草した」と、その横顔を紹介している。ここで5回の党大会とは、1982年第12回党大会、1987年第13回党大会、1992年第14回党大会、1997年第15回党大会、2002年第16回党大会である。なるほど、鄭必堅は元々胡耀邦の祐筆であり、1982年の胡耀邦報告の準備に参加して以来、87年の趙紫陽報告にも参加し、天安門事件によって江沢民が急遽抜擢された後も、その理論工作を支えてきた。近くは2002年の「三つの代表論」も鄭必堅の起草になることはよく知られていよう。
私自身は「三つの代表論」の無内容ぶりには、きわめて不満であり、その趣旨は幾度か書いてきた。それはさておき、およそ25年間にわたって理論工作の第一線で活躍した人物の主張が注目するに値することは明らかだ。そのように考えて、私は日中コミュニケーション研究会の仲間と語らって、一昨年、鄭必堅講演会を計画したが、諸般の事情から実現には至らなかった。もし実現していれば、そこで鄭必堅に“Peaceful
Rise”(和平崛起)を語ってもらうつもりであった。われわれの計画が挫折してから1年後に『フォーリン・アフェアズ』がそれをやってくれたことになる。
王輯思は中国社会科学院米国研究所の若き所長であったが、昨年春に母校北京大学に戻り、国際関係学院の学院長として活躍中だ。私はたまたま昨年7月に北京大学国際関係学院で開かれた日米中3カ国会議に出席する機会があったので、「あなたの父上王一了教授の『古代漢語』を昔読みましたよ」と話しかけたところ、「ほう、そうですか。私は読んでいないのです」と笑みを浮かべた。ここで「王一了」とは、「王力」の「力」を2文字に分解したもので、王力教授の筆名であった(文化大革命期の理論家「王力」とは、別人であることを知ったのは、40年昔のことだ)。王輯思は米国屋であり、古代漢語よりは英語の修得に熱心であった。というわけで、今日の米中関係を観察する場合に、最も重要な中国側理論家たちの意見を米国の雑誌は、紹介しているわけであり、彼らが確かな米中関係を構築しようとしていることの一端がここに示されていると解してよいであろう。
さて、件の鄭必堅だが、『時事報告』の史哲峰記者が鄭必堅をインタビューして「中日関係論――三大問題の解決に務めよ」と書いている(新華網2005年11月30日)。このインタビューには「靖国」や「歴史」の文字はない。
中日双方は少なくとも以下のいくつかの面で「共通認識」を持つべきだと説いている。
第一に、中日関係の現状は両国が未来に向かう、相互信頼・相互利益の関係を構築し発展させるうえで不利であり、両国が重要な影響を持ち合う国家として当該地区の反映と発展を共に推進していくうえで不利であること。
第二に、当面の中日政治関係は、困難に直面しているが、困難なときこそ、双方は相互の友好交流と実務合作をますます強化して、挑戦を機会に変えて、両国関係の改善と発展を推進すべきである。特に青少年の各種の交流をより一層活発にすべきである。
第三に、当面の情勢下で、メディアの役割(媒体的作用)はますます重要である。両国は「体制と国情」は異なるが、メディアの反対す役割はいずれも同様に重要である。情報化時代の背景のもとで、インターネット・メディアの影響にいかに対処するかは、双方が高度に重視し研究解決をはかるべき新しい課題である。
第四に時代とともに進み、イノベーションを開拓する精神で政府外交と民間外交をよりいっそう改善し強化しなければならない。
鄭必堅はここで特に目新しい提案を行ったわけではない。小泉首相の5回にわたる靖国参拝によって日中関係が完全に袋小路に陥った段階で、どこから手をつけて、何をやるべきかを論じたものにすぎない。私が注目しているのは、第2項の青少年の交流事業については、日本側にもその動きがあること。第3項の「メディアの役割」を重視する視点は、まさに近年日中コミュニケーション研究会が扱ってきた問題であり、わが意を得たりという気分である。 |
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小泉流のパフォーマンス政治は昨年9月11日の衆議院選挙において大勝を収めた。これを「小泉劇場」と呼ぶいい方が広く行われているが、私の見るところ、これはほとんど大根役者による田舎芝居以上のものには見えない。五百円玉をズボンのボケットから取りだしてチャリン、といった下手くそ演技はどうみても、お笑い劇場レベルのドタバタ劇だ。
問題はなぜそれが選挙の勝利と結びついたか、であろう。郵政改革を争点に据えて、議会で否決されるや、国民に信を問うとして解散を断行し、反対派議員のもとに「くの一」もどきの刺客を送るといった田舎芝居に関わる国内要因を除けば、小泉首相の靖国パフォーマンスを支えた対外的要因は、一昨年の中国サッカー・ブーイングであり、昨年の反日デモであり、韓国による反日行動であると見なければならない。
芝居自体はお粗末なものだが、内外の要因を巧みにかみ合わせて世論を誘導した手練手管は、プロの政治判断であり、これは端倪すべからざるものがある。
こうして小泉に勝利をもたらした対外的要因を挙げるとき、「行き過ぎた中国ナショナリズム」は当然ながら、厳しく批判しないわけにはいかない。ここで中国の代表的マスコミの歪曲報道の具体的事例を一つ挙げよう。
『中国青年報』の東京特派員裴軍記者が書いた「2005年中日関係の総決算」(中日関係大盤点)が新華社通信の新華網に掲載された(www.XINHUANET.com 2005年12月26日 )。これは、(1)台湾問題(いわゆる2+2問題)、(2)教科書問題、(3)反日デモ、(4)常任理事国加盟問題、(5)靖国参拝、(6)東シナ海(東海)海底資源問題、(7)東アジアサミット、(8)いわゆる中国脅威論、以上8項目のトピックについて、中日関係の争点を総ざらいしたものだ。
ここでは紙幅の都合上、(2)教科書問題にしぼって、この記者がどのような歪曲報道を行ったかを検証してみよう。短い文なので、以下に全訳する。 |
「大多数の日本人がその時期の歴史[1931-1945年を指す]について不注意あるいは無知なことについていえば、日本の歴史教科書を取り上げないわけにはいかない。近年来、もともと全面的に後退していた日本の歴史教科書において、またもや歴史を勝手に改竄し美化する極右の版本が現れ、中韓の憤激を招いたのは容易に想像できることだ。
扶桑社刊、「新しい歴史教科書をつくる会」のデッチあげた『新しい歴史教科書』は4年の審査を経て合格し、日本と中韓との外交トラブルを招いた。今年は日本では4年に一度の教科書審査年であり、「新しい歴史教科書を作る会」はあれこれ活動し、採用率を10%まで高めると高言していた。教科書問題において日本政府のこれまでの態度は教科書審査制度は中国韓国の抗議にはとりあわないないという立場である。今年はこの問題はすでに戦旗を捲き陣太鼓は止んだが、4年後に中日関係トラブルの一つの焦点になるものと信ずる」。 |
「つくる会」側が10%を目標とすると大宣伝したことは確かな事実である。これに対して、この動きを批判する活動も活発に行われた。採用率は結局0.4%にとどまった。採用率がコンマ以下に押さえ込まれた事実は、やはり教育の現場では、『新しい歴史教科書』を拒否する良識が日本社会においては圧倒的多数であったことを雄弁に物語る。4年前は0.039%であり、今回は0.4%である。
要するに、「採用率が0.4%にとどまったことの意味」を十分に検討することが必要である。ところが、裴軍特派員は、つくる会側が10%を目標とする方針を提起したことは記述したが、その結果については何も触れていない。これはどうみても実事求是の精神に基づいた記事とはみなしがたいのである。(1)つくる会は10%目標を掲げた。(2)しかし日本の良識が教育の現場で発揮され、採用率はコンマ以下にとどまった。この現実は、当事者の掲げた「目標にすぎない数字」と比べて、はるかに重要な、「固い現実」なのだ。私が不可解でならないのは、なぜ裴軍記者が、この重要な事実を敢えて無視するのか、である。
(1)なによりもまず本人に問い質し、自己批判を求めたいところだ。
(2)次に、このような欠陥記事を『中国青年報』のデスクはなぜ見逃したのか。
(3)さらに、このような欠陥記事を新華網は、なぜそのまま転載したのか。
一記者の不見識に始まり、新華網のデスクに至る日本報道関係者がすべて、この記事を容認した事実は何を物語るのか。論理的に推論すると、彼らはおそらく「10%目標の達成を歓迎する」反面、「0.4%に押さえられたことに不満」なのだという話になろうか。それ以外に合理的な理由があれば、ご教示を得たいところだ。この体たらくでは、日本事情をまるで知らずにデタラメを書き続けている反日評論家たちと、権威を誇る「大新聞(大報)、機関紙(機関報)、党新聞(党報)」の日本特派員たちが五十歩百歩である。
問題の核心はなにか。
この記事に見られるスタンス、すなわち日本は要するに悪者として批判しさえすればよしとする中国側メディア関係者には、日中関係を憂慮して行動した良識派日本人の姿はまるで見えていない。彼等の目には団結の対象が見えないのである。見えるのは「つくる会」という仮想敵のみ。実はこの仮想敵によって彼ら自身が支えられているのだ。これでどうして中日友好が可能なのか。
この特派員に代表されるようなメディアの偏向には、厳しい目を向けるべきである。事柄の本質は日本でも中国でも同じことだ。鄭必堅があえて指摘した「メディアの役割」とは、私のより率直な用語では「偏向メディアの批判」と訳される。これは狭隘なナショナリズム、すなわち排外主義を克服するうえできわめて重要である。
なお、以下は「つくる会」の声明および同会がまとめた採択状況資料を同会のホームページ(http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_050902.html)からコピーしたものである。
歴史・公民教科書の採択結果についての「つくる会」声明(原文は縦書) |
1、平成十七年度の中学校教科書採択が、八月末をもって終了した。「新しい歴史教科書をつくる会」が提唱した扶桑社発行の歴史・公民教科書は、『改訂版・新しい歴史教科書』『新訂版・新しい公民教科書』として旧版の内容・表現を一新し、飛躍的に改善された。その結果、各地で開催された教科書展示会での一般市民の感想や市販本の反響にも見られるように、多くの国民から高い評価を受けた。扶桑社の教科書を採択した各地の教育委員会からも、学習指導要領に最も適合した教科書として、そのすぐれた特質が多面的に指摘された。反対派は、「戦争賛美の教科書」などという空虚で根拠のないレッテル貼りを繰り返すだけで、具体的な内容に立ち入った批判を展開することすらできなかった。中韓両国からの批判についても、文相や外相が積極的な反論発言をおこない、メディアも全体としては前回のような極端な「つくる会」たたきを展開することはできなかった。
2、それにもかかわらず、朝日新聞は「教室で使うにはふさわしくない」などと、メディアにあるまじき不当な誹謗を加えた。国内の反対勢力は、前回ほどの大量の動員をすることはできなかったが、その分だけ、中韓の外圧、とりわけ韓国の政府・民間を引き入れての採択妨害活動に熱中し、その策動は熾烈を極めた。中国の反日デモなどを契機とする日本国内の嫌中・嫌韓感情の高まりを前に、逆効果となることを恐れたメディアは、中韓を引き入れた各地の採択妨害活動をほとんど報道しなかったが、実際には、韓国の中学生に手紙を書かせる、韓国の地方議員を扶桑社が採択される可能性のある地域に呼び寄せる、日本の新聞に広告を出すなど、日本国内の反対勢力に手引きされた韓国側の動きは、異常に突出したものであった。
3、こうした中で、扶桑社の歴史教科書の採択結果は、一般の市区町村では、東京都杉並区と栃木県大田原市で新たに採択され、滋賀県立の中高一貫校と私立中学校数校に広がるなど、一定の前進を示したが、目標とする一○パーセントにははるかにおよばない結果にとどまった。歴史教科書は、〇・四パーセント、公民教科書は○・二パーセント程度となった。しかし、これらの採択地域・学校は今後の飛躍のための貴重な橋頭堡であり、激しい反対運動の中で冷静な審議を尽くして採択してくださった教育委員会と学校関係者に対して、私たちは深甚なる感謝の意を表するものである。また、教育委員会における最後の採決で、「二対三」で採択に到らなかったケースが多数にのぼった。評価していただいた教育委員の方々にも謝意を表したい。
4、今回の採択を通じて明らかになったことは、教育界が一般社会の常識から かけ離れ日本社会の動きから大きく立ち遅れていること、半世紀以上にわたる日教組支配が依然として続いていること、教科書会社の利権が深く根を張っていること、等々の事実である。公開された教育委員会の審議の場で、扶桑社の教科書を高く評価しておきながら、評決では他社の教科書を採択するなどの、理不尽・不可解な採択の実態が露呈したところも少なくない。謀略・奸計さえ弄して扶桑社の採択を妨害した地域すら存在した。こうしたことは、日本社会の根深い腐敗・腐朽の一部であるとともに、「殺人以外は何でもする」といわれた教科書営業の世界のおぞましさを垣間見せたものにほかならない。私たちは、教育界の浄化のためにも、今後、教科書採択の実態を徹底的に解明する作業にとりかかるつもりである。
5、さらに、今回の採択を通して、教科書採択制度・法制の矛盾や欠陥も明らかになった。単位教育委員会の意向が採択に反映されない共同採択制度の矛盾は、茨城県大洗町や岡山県総社市、その他のケースであまりにも明瞭となった。採択期間中に採択教科書が国民の目の届く形で十分に公開されていないという問題も、文科省がホームページでの公開や採択期間中の市販を公式に認めるなど一定の改善の兆しは見られるものの、「国民に開かれた採択」にはほど遠いものであった。また、教育委員会の権限と責任において採択するという流れが定着しつつあるとはいえ、相変わらず「現場の教師の推薦の多い教科書を採択すべきだ」などと主張する教育委員や教育委員会が後を絶たない。そうした発言をする任務放棄の教育委員や組織が多数にのぼる現状を見るとき、もはや教育委員会制度そのものを見直す時期が来ているのではないかとさえ考えざるをえない。今後は、教育改革の一環として、教育委員会制度、教科書採択制度を全体的に見直し、無償措置法の改正を実現し、さらに教科書法の制定を展望する取り組みを開始したい。
6、「新しい歴史教科書をつくる会」は、右のような教訓を生かして、四年後の教科書採択に三たび挑戦する決意をここに宣言する。中学校社会科の地理の教科書を新たに発行すること、家庭科、国語など他の教科の教科書にも進出することなど、新規事業についても検討する。教科書の日教組支配、歴史教科書の外国支配は、長い期間にわたってつくり出された強固な体制である。これを改善するには、相応の長い期間を必要とする。私たちは、良識ある国民に広く支持を呼びかけ、新たな勇気を奮い起こしてこれらの課題に立ち向かう所存である。
平成十七年九月二日 |
新しい歴史教科書をつくる会 |
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『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』採択校
※生徒数、冊数は推定。9月1日までの公表分。 |
≪採択地区≫ |
栃木県大田原市(歴史・公民)12校
東京都杉並区(歴史)24校 |
生徒数= 730名
生徒数=2100名 |
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≪都道府県教委≫ |
東京都教育委員会(歴史・公民、継続) |
中高一貫校4校(歴史)
養護学校等19校(歴史)
(公民) |
生徒数= 600名
生徒数= 60名(1年)
生徒数= 80名(3年) |
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愛媛県教育委員会(歴史、継続) |
中高一貫校3校
養護学校等4校 |
生徒数= 480名
生徒数= 10名 |
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滋賀県教育委員会(歴史、新規) |
中高一貫校(河瀬中学校)1校 |
生徒数= 80名 |
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≪私立中≫ |
・継続(歴史)
常総学院(茨城)160、國學院栃木(栃木)80、麗澤(千葉)100、
麗澤瑞浪(岐阜)60、津田学園50・皇学館(三重)70、
甲子園学園(兵庫)60、岡山理科大附属(岡山)80 |
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計8校 生徒数=660名 |
・継続(公民)
上記8校のうち、岡山理科大附属を除く7校580、清風(大阪)380 |
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計8校 生徒数=960名 |
・新規(歴史) 玉川学園(東京)290、明徳義塾(高知)70 |
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計2校 生徒数=360名 |
・新規(公民) 玉川学園290、日大三中(東京) 230、
武蔵野女子学院(東京)200、明徳義塾70 |
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計4校 生徒数=610名 |
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◎総計 |
『新しい歴史教科書』 77校 5080冊(約0.43%)
※前回は11校で521冊(0.039%)=文部科学省発表
『新しい公民教科書』 43校 2560冊(約0.21%) |
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