私は2月に出版した『中国力』で太子党一覧表を作った(357~364ページ)。そのなかで、薄煕来夫人谷開来のことを「谷牧の娘」と記した(358ページ)。その後、中国の友人から、これは誤記であり、「谷牧の娘」ではなく「谷景生の娘」であるという教示を受けた。薄煕来は太子党の代表的人物の一人であり、2012年に開かれる第18回党大会において政治局常務委員に昇格することは確実と私は予想しており、中国政治の分析においてきわめて重要なVIPなので、この誤記は急いで訂正しておきたい。
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谷景生 |
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「一二•九学生デモ」 |
谷景生の経歴を「百度百科」で調べると、以下の通りである。
1913年7月生まれ(薄一波より5歳若い)、山西省猗氏(今臨猗)県人(なお出生地は山東猗氏)。「一二•九」運動の主な領導者の一人、中国軍の「優秀な政治工作領導者」である。1932年中国共産主義青年団に参加し、同年中国共産党に入党(19歳)。土地革命戦争期には反帝新聞主編や、察哈爾抗日同盟軍第五師宣伝科科長、団(連隊)政治委員,北平左翼文化総同盟書記兼“左聯”書記、『泡沫』社社長、共青団北平市委書記、北平「学聯」党団成員などを歴任した。一二•九運動に参加し領導した。
抗日戦争期には、中共山西公開工作委員会委員、山西青年抗敵決死隊第一縦隊民運部部長、中共太行第三地委城工部部長、第七地委書記、太行軍区第七軍分区政治委員などのポストを歴任し、「反封鎖、反蚕食、反清剿、反掃蕩」の闘争に参加した。
解放戦争期には、中原野戦軍第九縦隊政治部主任を務め、1951年3月、志願軍十五軍政治委員として軍長秦基偉とともに朝鮮戦場に向かい、第五次戦役に参加した。上甘嶺戦役において「群衆立功運動」を組織し、大勝利を勝ち取り、部隊の中から黄継光、邱少雲などのような戦闘英雄を生み出した。
帰国後,防空軍党委第二書記、副政治委員を務め、国防部第五院(ミサイル担当)政治委員、党委書記を務めたが、この時期は中国がミサイル事業の創業期であり、彼は銭学森院長とともに、広範な科研人員の積極性と創造性を引き出し、研究・製造工作に従事した。
1958年6月初め第五院を離れ、総政治部群衆工作部部長となった。(文革期のあと)
1981年2月、新疆ウィグル自治区党委第二書記兼ウルムチ軍区政治委員、新疆生産建設兵団第一政治委員、第一書記として、新疆地区の「社会穏定、民族団結、経済発展」に貢献した。
2004年11月28日北京で91歳で死去した。賞罰などは以下のごとくである。1955年少将。二級独立自由勲章、一級解放勲章、一級紅星功勲栄誉章を受勲した。党の十二回大会代表,第六、第七期全国人民代表、第六届全国人大常務委員、第七期全国人大内務司法委員会委員。家族関係は次のごとくである。谷開来は谷景生の五女で、北京で弁護士事務所長を務めているが、その女婿は重慶市委書記薄熙来である。外孫の薄瓜瓜は、2009年「Big
Bell奨」を受け、英国「十大傑出華人青年」に選ばれ、オクスフォード大学政経哲学生会主席を務めた。
谷景生の経歴から二つの特徴に着目したい。一つは「一二•九学生デモ」である。1935年12月9日北平(北京)の大学中学(高校)生が数千人規模で、中共の領導により「抗日救国」の街頭デモを行い「華北自治反対」、「日本帝国主義反対」を叫び、全国に「抗日救国」の新高潮をもたらした。これが有名な「一二•九学生デモ」である。黄敬(兪正声の父)、姚依林(王岐山の岳父)、郭明秋などの指揮下、デモ隊は6000名を超えた。この「一二•九学生デモ」を契機として入党した者は、根拠地のゲリラ出身の党員と並んで、中国共産党のなかで大きな一派をなしている。もう一つは山西省である。薄一波が山西省定襄県出身であることはよく知られていよう。薄一波の子薄煕来と谷景生の娘谷開来とは、山西省の同郷である。
私が薄煕来にいま注目しているのは、日本の財界人に顔が比較的知られているといった類の関心ではまったくない。薄煕来の近年のパフォーマンスを次期党大会(2012年)における常務委員昇格確実と見て、新規常務委員内部におけるポスト争奪のための示威行動と見ているからだ。彼は常務委員昇格確実な太子党のなかで最も若い。1949年生まれだから2012年に63歳になるはずだ。それゆえ太子党全体のチャンピオンなのだ。薄煕来の挑戦を一手に引き受け、共青団代表として「代理戦争」を行っているのが汪洋である。彼は1955年生まれだから、2012年には57歳である。薄煕来よりは6歳若い。ところが重慶市書記のポストは6歳若い汪洋が先に務めたわけだ。共青団の若造に先を越されて「不高興」なのだ。しかも汪洋は重慶市書記のあと、改革・開放の先進基地広東省において、経済構造の質的転換の旗振り役を演じている。私憤を晴らし、加えて太子党の存在感を示威する。これが薄煕来のパフォーマンスの狙いであるはず。
以下に三つの表を掲げる。表1は江沢民時代の10年(1992~2002年)、表2は胡錦涛時代の10年(2002~2012年)の政治局委員および常務委員の人事の決まり方を踏まえて、表3に習近平時代の10年(2012~2022年)の予想人事を試みたものである。
詳しい説明は省くが、2012年には、現在の9名のうち、習近平と李克強を残して7名が引退する。そしてこの7つの空席を埋める可能性をもつのは、現在政治局委員を務めている者に限られ、候補者は9名いる。これら9名のうち、二人だけが椅子盗りゲームに失敗する。常務委員昇格に成功しなければ引退しか道がないのは、劉雲山、張徳江、兪正声の3名である。この3名は昇格の可能性が高いと見るべきだ。
まだ1期目なので、昇格がなければ留任も可能なのは、汪洋、劉延東、薄煕来、王岐山、李源潮、張高麗の6名である。この6名のうち、現在の職務担当から見て昇格確実なのは、汪洋、薄煕来、王岐山、李源潮の4名であり、昇格が微妙なのは、劉延東と張高麗である。
以上の分析から、2010年6月時点における私の判断だが、9名の常務委員昇格候補者のうち、昇格が成らず、政治局委員留任は、劉延東と張高麗の二人という結論が導かれる。この予測がどこまで当たるか、それを2012年の党大会終了後に採点してほしい。これが読者に対する私の希望である。
表1 江沢民時代(1992~2002)の政治局
江沢民体制 |
太子党1号・李鵬、疑似太子党2号・江沢民 |
1992年 14期 |
1997年 15期 |
江沢民⇒ |
江沢民(2期引退) |
李 鵬⇒ |
李 鵬(2期引退) |
喬石(2期引退) |
*尉健行(1期引退) |
李瑞環⇒ |
李瑞環(2期引退) |
朱鎔基⇒ |
朱鎔基(2期引退) |
胡錦涛⇒ |
胡錦涛(2期昇格) |
劉華清(1期引退) |
*李嵐清(1期引退) |
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(新人2、留任5) |
丁関根⇒ |
丁関根(統一戦線) |
田紀雲⇒ |
田紀雲(全人代) |
李鉄映⇒ |
李鉄映 |
呉邦国⇒ |
呉邦国(全人代) |
姜春雲⇒ |
姜春雲(山東省) |
謝非⇒ |
謝非(広東省) |
銭其琛⇒ |
銭其琛(外交) |
陳希同、失脚 |
*賈慶林(北京市) |
尉健行 |
*呉官正(紀律検査) |
譚紹文、病死 |
*遅浩田(軍) |
李嵐清、昇格 |
*張万年(軍) |
楊白冰、失脚 |
*李長春(宣伝) |
鄒家華、引退 |
*羅幹(治安) |
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*黄 菊(上海) |
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*温家宝(副総理) |
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*曾慶紅(書記処) |
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*呉儀(女、副総理) |
表2 胡錦涛時代(2002~2012)の政治局
胡錦涛体制 |
太子党3号・曾慶紅 |
太子党4号習近平、5号賀国強 |
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2002年 16期 |
2007年 17期 |
職掌 |
胡錦涛⇒ |
胡錦涛(2期引退) |
総書記 |
*呉邦国1⇒ |
呉邦国(2期引退) |
全人代 |
*温家宝⇒ |
温家宝(2期引退) |
総理 |
*賈慶林2⇒ |
賈慶林(2期引退) |
政協 |
*李長春3⇒ |
李長春(2期引退) |
宣伝 |
*羅 幹 |
*周永康(1期引退) |
治安 |
*呉官正 |
*賀国強(1期引退) |
紀律検 |
*曾慶紅4 |
*習近平(昇格) |
1953.6 |
*黄 菊5 死去 |
*李克強(昇格) |
1955.7 |
(新人8、留任1、
江沢民派5名) |
(新人4、留任5) |
生年 |
王楽泉⇒ |
王楽泉(2期引退、68歳) |
1944.12 |
王兆国⇒ |
王兆国(2期引退、71歳) |
1941.7 |
回良玉⇒ |
回良玉(2期引退、68歳) |
1944.1 |
劉淇⇒ |
劉淇(2期引退、70歳) |
1942.11 |
劉雲山⇒ |
劉雲山(2期昇格か65歳) |
1947.7 |
張徳江⇒ |
張徳江(2期昇格か66歳) |
1946.11 |
俞正声⇒ |
兪正声(2期昇格か67歳) |
1945.4 |
郭伯雄⇒ |
郭伯雄(2期引退、70歳) |
1942.7 |
張立昌、死去 |
*汪洋(1期昇格、57歳) |
1955.3 |
呉儀(女、1期引退) |
*劉延東(1期留任か、67歳) |
1945.11 |
陳良宇(失脚) |
*薄煕来(1期昇格、63歳) |
1949.7 |
周永康(昇格) |
*王岐山(1期昇格、64歳) |
1948.7 |
賀国强(昇格) |
*李源潮(1期昇格、62歳) |
1950.11 |
曹剛川(1期引退) |
*徐才厚(1期引退、69歳) |
1943.6 |
曾培炎(1期引退) |
*張高麗(1期留任か、66歳) |
1946.11 |
王剛⇒ |
*王剛(2期引退、70歳) |
1942.1 |
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(新人8、留任8) |
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表3 習近平(2012~2022)の政治局
習近平体制予測 |
太子党全盛時代 |
2012年 18期 |
2017年 19期 |
習近平太子党1⇒ |
2期可能、1953.6生まれ59歳 |
(汪洋共青団1)⇒ |
2期可能、1955.3生まれ57歳 |
李克強共青団2 ⇒ |
2期可能、1955.7生まれ57歳 |
(薄煕来太子党2)⇒ |
2期可能、1949.7生まれ63歳 |
(劉雲山共青団3) |
1期のみ、1947.7生まれ65歳 |
(張徳江太子党3) |
1期のみ、1946.11生まれ66歳 |
(李源潮共青4・太子) |
2期可能、1950.11生まれ62歳 |
(兪正声太子党4) |
1期のみ、1964.11生まれ67歳 |
(王岐山太子党5) |
1期のみ、1948.7生まれ64歳 |
常務委員昇格可能性のある二人。昇格がなければ留任できる |
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劉延東(太子党、共青団) |
1945.11生まれ67歳 |
張高麗(石油派) |
1946.11生まれ66歳 |
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