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『長江哀歌 ちょうこうエレジー』という映画を見た。三峡ダムの完成で街の主要部が水没寸前の状態にある重慶市の奉節*を舞台に、追われゆく民衆の生業をドキュメンタリータッチで描いている。映画芸術論はともかく、現在の中国をウオッチするには格好の映像である。
三峡ダムの建設プロジェクトは、長江上流の都市と住民生活の破壊プロジェクトでもある。三峡ダムの貯水水位が175メートルに達すると、湖北省、重慶市の20県(市、区)が水没して、113万人が立ち退き、1629工場、3687万平方メートルの建物が移転を強いられる(三峡ダム移民資金審計結果)。「立ち退き移民プロジェクト」は1993年から始まり、2006年9月までにすでに123万人が退去し、2008年中には完了する。うち98万人(約80%)が重慶市住民、25万人が湖北省住民である(新華網2006.9.25)。
三峡ダムのせいばかりではないが、重慶市は人口の流出が激しい。『長江哀歌』には流れ者ばかりが登場する。二人の主人公である元炭鉱夫の男と看護婦の女は山西省から肉親探しに、この街を訪れた。男が捜す元妻は下流の湖北省に行って久しく留守であったし、恋しい娘は広東省東莞に稼ぎに行ったままである。女主人公の逐電した夫の職場の女社長は福建省厦門から来たあざとい商売人である。また、売春で家計を支えている主婦はやがて広東に流れて行った。
『長江哀歌』のロードショウが始まったの機に、ドラマのバックグラウンドの理解に資するために、「重慶市の流動人口」を紹介しておこう。重慶市の流動人口については確実な資料が乏しかったが、最近、国家統計局が重慶市の流動人口を公表した(「重慶人口流動活躍 “出多進少”特征明顕」中国統計信息網 2007-08-06)。以下は、その要点である。 |
| (1)流出人口は680万人余 |
重慶直轄市(省レベル)の常住人口は2808万人(2006年末)であるが、同年の流出人口(省外流出+市内流出)は680万人余にのぼる。常住人口と流出人口の比は、概数で4対1となる。
図表1は、2000年以降6年間の、重慶市への流入人口と流出人口(省外流出+市内流出)をグラフにしたものである。左端が流入、中央が市内流出、右端が省外流出であるが、6年間一貫して流出超である。
省外流出+市内流出は2006年680.61万人で、2000年の396.82万人と比べ、283.79万人増加し増加率は71.5%。年率9.4%増の急激な流出が続き、その勢いは年々拡大している。
流出は省外流出が主流で2006年453.40万人。2000年の288.30万人から165.10万人増、増加率は57.3%となっている。
市内流出は支流で、2006年に省外流出の約半分の227.21万人。しかし増加率は大きく2000年以来227.21万人増、増加率109.4%にのぼる。
6年間の流出超の結果、実際に居住している人口を意味する常住人口の減少が続いている。常住人口は2000年3090万人が2006年2808万人となり、282万人減少している。 |
| 図表1 重慶市の流入人口と流出人口数(2000ー2006年) (単位:万人) |
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| (2)3割強は珠江デルタへ、3割弱は長江デルタへ流れる |
人口流出の主流である重慶市外(省外)への流出は何処に向かっているのか?
図表2は、2000年と2006年との流出先と、その構成比を一覧にしたものである。
流出最大省は水路が開いている長江流域の諸省ではなく、陸路を辿る南方の広東省である。地の利ではなく、労働力を吸引する経済力が移動方向を決している。2000年までに流出人口の約3分の1(32.1%)の92.5人が広東省に流れていたが、2006年にはさらに拡大し、約4割(40.4%)の183万人が広東省に向かっている。
2006年に広東省に次ぐのが、長江下流の浙江省であり14.6%、第3位が浙江省の地続きに位置する福建省10.5%である。浙江、福建両省をあわせると25.1%となる。同じく長江の下流で定期船が通っていて経済力も広東省に劣らない上海市と江蘇省は意外に少なくそれぞれ4.2%、2.7%である。浙江、福建、上海、江蘇を含む華東は合計29.0%となる。
重慶から流出した人口の3割強は珠江デルタへ、また3割弱は長江デルタに向かっていると見ておいていいだろう。
近隣の四川省、雲南省、湖北省、貴州省は言語、文化、習俗も相通じ、かつては重慶市の大きな人口流出先であったが、近年は急速に地位が低下している。四川省、雲南省はそれぞれ2000年12.1%、9.0%であったが、2006年には4.7%、4.4%と変化している。移動の距離や親近性をいとわず、経済的吸引力に引きずられて、重慶の人々は遠距離出稼ぎに出るようになったと見られる。 |
| 図表2 重慶市の省境を跨ぐ流出人口の主要流入省(2000年、2006年) |
| 2000年 |
2006年 |
| 流入省 |
重慶市の流出入人口に占める比重(%) |
流入省 |
重慶市の流出入人口に占める比重(%) |
| 広東 |
32.1 |
広東 |
40.4 |
| 四川 |
12.1 |
浙江 |
14.6 |
| 浙江 |
9.7 |
福建 |
10.5 |
| 雲南 |
9 |
四川 |
4.7 |
| 福建 |
8.6 |
雲南 |
4.4 |
| 湖北 |
5.4 |
上海 |
4.2 |
| 貴州 |
3.4 |
新疆 |
3.1 |
| 上海 |
3.3 |
湖北 |
2.9 |
| 新疆 |
3.1 |
江蘇 |
2.7 |
| 江蘇 |
2.8 |
北京 |
2.4 |
| 北京 |
2.1 |
貴州 |
2.1 |
| 遼寧 |
0.5 |
山西 |
1.1 |
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| (3)主城6区市内流動人口の受け入れ地区 |
さきに見たように人口流出において市内(省内)流出が拡大していることも見逃せない。全国レベルで流動人口は約1億5千万人(1億4735万人)に上るが、そのうち省境を跨ぐ流動は約3分の1(4779万人)で残りの3分の2は省内流動が占めている(2005年データ。『人口統計年鑑』2006年版)。省内の経済活動が活発な地区が、省内の労働力を吸収し、過疎地域の人口が減少するという流動化減少が生じているのである。
図表3は重慶市内の県境を跨ぐ流動人口の流入地区の2000年と2006年との構成比である。重慶市では主城6区(九竜坡区、渝中区、南岸区、沙坪壩区、江北区、渝北区)が経済発展地区であり、この地区が市内流動人口の受け入れ地区となっている。主城6区の流動人口の構成比は2000年53.6%であったものが、2006年66.9%の上昇している。中でも人口集中が急激に伸びているのは新興工業区の渝北区と大渡口区で、それぞれ2000年2.8%、2.8%から2006年8.3%、8.3%となっている。 |
図表3 重慶市内の区県を跨ぐ流動人口
の主要接收区県比重(2000年、2006年) |
| 2000年 |
2006年 |
| 区県 |
市内の区県を跨ぐ流動人口
の主要接收区県比重(%) |
区県 |
市内の区県を跨ぐ流動人口
の主要接收区県比重(%) |
| 九竜坡区 |
16.3 |
九竜坡区 |
13.9 |
| 渝中区 |
13.5 |
渝中区 |
13.7 |
| 沙坪壩区 |
8.8 |
南岸区 |
10.7 |
| 江北区 |
6.6 |
沙坪壩区 |
10.2 |
| 南岸区 |
5.6 |
江北区 |
10.1 |
| 万州区 |
4.1 |
渝北区 |
8.3 |
| 江津区 |
3.9 |
大渡口区 |
8.3 |
| 涪陵区 |
3.7 |
巴南区 |
4.6 |
| 永川区 |
3.1 |
北碚区 |
3.5 |
| 巴南区 |
3 |
永川区 |
2.1 |
| 大渡口区 |
2.8 |
涪陵区 |
1.4 |
| 渝北区 |
2.8 |
万州区 |
1.2 |
| 北碚区 |
2.1 |
黔江区 |
1.2 |
| 長寿区 |
2 |
璧山県 |
1.1 |
| 合川区 |
2 |
万盛区 |
1.1 |
| 璧山県 |
2 |
江津区 |
1 |
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| 注 |
*奉節県は、重慶市の東端・三峡ダムの上手に位置する峡谷の街で、かつては夔州(きしゅう。県城は夔府)といった。明治29年(1896年)に女一人で「中国奥地紀行」をしたイザベラ・バードは、曳舟で長江を遡行して、写真を添えてこの街の詳細なレポートをしている。
「夔府は大きな都市である。すばらしい城壁と堂々たる複数の門楼があり、銃眼つき胸壁越しには<衙門>[役所]や寺院に立派な屋根が際立って見える。訪れた当時は、夔府の街は外国人に対して非常に敵対的だった。それで、私はその堂々たるどの門の中にも入ろうとも思わず、美しい周辺部を歩いた。……帰り道で男や少年が大勢押し寄せてきて、口々に<洋鬼子 ヤンクウエイツ>つまり「外国の悪魔」と罵声を浴びせた。(『中国奥地紀行 1』241頁) |
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