第2号 2004.6.7発行 by 渡辺 浩平
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  このところ北京で「散装餃子」が売れているという。
 「散装餃子」とは冷凍餃子のバラ売り。冷凍庫に入った餃子を、客がグラム単位で買ってゆく。
 北京の冷凍食品市場をリードしてきた「瑞達急凍」が2001年から市場導入をはじめ、他の冷食メーカーも追随、ここ数年で急速に普及した。バラ売り餃子により、2001年旧正月期の冷凍餃子の売り上げは、例年の15倍という驚異的な伸びを示したとのことだ。
 ご存知の通り、中国において餃子はハレの日の食べ物、春節とよばれる旧正月期間中によく食べられる。
 「散装餃子」の価格は一斤(500グラム)数元。具には羊に豚、肉っけのない精進タイプや、三鮮といわれる三つの具財を組み合わせたものなど、時に数十種がならぶ。バラ売り餃子の魅力は、なんといっても、さまざまな種類の餃子が少しずつ買えること。「散装餃子」を報ずる記事では、その種の消費者の声が紹介されている。
 しかし、味の方はいまいちのようで、「美味しい」と答えた人が、一割にも満たないというアンケート結果を伝える記事もあった。また、冷凍食品のバラ売りは、品質にも大きな影響を与え、一部解けて、餃子がくっつくなどという管理のずさんさを指摘する声もある。
 
珍選玉米蝦仁水餃300g 珍選翠玉猪肉水餃300g 珍選百宝三鮮水餃300g
上海龍鳳の冷凍水餃子

 上海龍鳳

 「龍鳳」の冷凍餃子をはじめて食べたのは、1994年の初頭のこと。私が前職の博報堂の駐在員として上海に着任したのは、前年の9月であったが、当時の上海は、ケ小平の南巡講話でどっと駐在員が増え、外国人用住宅は満杯状態、年末になりようやく厨房付きの住まいに移りすむことができた。よって数ヵ月間、龍鳳の眼にも鮮やかなパッケージや、冷食コーナーに設えられた販売促進のためのPOPなどを、「ああいうものを自宅でも作れるようになれたらいいなあ」と憧れの眼で眺めていたのである。
 家に帰り、感慨にふけりながら鍋に湯を沸かした。しかしながら味のほうは、違和感が残るものだった。皮にふくよかさというか、しっとり感がなく、具がパサパサしていて、かつ具の下味がやたらに濃かった。その後も、便利だからと異なる種類の商品を何度か買ったが、いつも後悔し、ある時、皮に毛が一本入っていたので(それも少し縮れていたような気がする)、それ以来買うのを辞めた。中国の粉食系の食べ物は、つくりおきしたものは不味いと思い、これは普及しないと思った。
 外灘(バンド)にある、屋号は忘れてしまったが、「注文が来てから包んで蒸す」ことを売りにしているレストランの小籠包(シャオロンパオ)は時間がかかるが美味だったし、北方系の知り合いの家でご馳走になる自家製の餃子は、皮がムチムチして、すこぶるおいしかった。
 中国市場における冷凍食品トップ企業「龍鳳」にケチをつけようとしているわけではないので、一言ことわっておくが、これはあくまで今から10年前のこと。おそらく当時は、製品開発も試行段階で、かつ、「コールドチェーン」と呼ばれる冷凍の輸送体制もしっかりしておらず、「本物」との差が歴然としていたのだと思う。「皮厚、中貧弱」の冷凍餃子の問題は、ずいぶん改善されたと聞く。その後、龍鳳はISOも取得しているので、現在は衛生管理もきちんと行われていると想像される。

 龍鳳の経営者、葉惠徳は台湾企業の経営者にしばしば見られる極貧から一代で財をなした人物だ。高雄港の港湾労働者を父に持ち、7人の兄弟のなかで育ち、苦学して大学に進学、コンピューターを学ぶ。
 大学時代、家計の助けにと休みは台南の姉の家で、義兄の麺作りを手伝い、餃子作りに開眼。大学卒業後、餃子生産を開始した。当初は、自分で作りそして売り歩く家内工業であったが、1980年代より工場を立ち上げ、80年代後半には、龍鳳餃子は海外に輸出されるまでになる。
 上海工場の起工は、ケ小平の南巡講話の年、1992年。販売開始は、翌年である。
 現在、龍鳳は上海をはじめとして、成都、天津、広州に工場を持ち、営業拠点は34を数え、冷凍食品の中国市場におけるシェアは、2001年段階で15%弱とトップ、上海だけだと3割を超える。
葉 惠徳
上海国福龍鳳食品有限公司董事長
陳 沢民
鄭州三全食品有限公司是董事長
李 偉
河南省思念速凍食品有限公司総経理

 しかし、近年、河南省鄭州市にある「三全」「思念」などの民族資本が龍鳳と激しい戦いを繰り広げている。冷凍湯圓の開発企業で、湯圓の生産量トップの三全は、毎日350トンの湯圓と100トンの餃子、180トンのアイスクリームを生産。湯圓とはもち米でできた餡入りのお団子だ。冷凍餃子生産量トップの思念は日産、餃子200トン強、湯圓100トン強を誇る。
(http://www.qzagri.gov.cn/xwdetail.asp?ID=8503)
 葉自身も、「競合は、台湾企業でも外資でもなく、中国企業」と語っており、先に書いた通り、ISOを取得するなど、中国企業との差別化をはかっているのである。また葉は、現在、上海台湾同胞投資企業家協会会長の要職にあり、旧正月の台北上海直航便の運航にも尽力した。(http://tw.stock.yahoo.com/n/2004/c/14.html)
 なお、90年代後半から対中進出を果たした加ト吉は、中国生産品の日本輸入をビジネスの基本としているが、龍鳳と業務提携をし、製品の一部を同社の販売チャンネルを通じて中国国内で売っている。
 加ト吉社長の加藤義和も、中学卒業後に、香川県観音寺市の水産工場を継ぎ、それを日本有数の冷食企業にまで成長させた立志伝中の人物だ。加ト吉により、冷凍エビフライが気軽に食卓にのぼり、冷凍讃岐うどんが全国区の商品となった。台日の冷凍食品界の風雲児が、中国市場への切り込み隊長になり、奇しくも手を組んだのである。

 「餃子ほど美味しいものはない」

 1990年代の初頭に、冷凍餃子が普及しないと考えたのには、製品の質の問題だけではなく、もう一つわけがある。
 中国の北方に長期滞在をした方は経験があると思うが、北方人のお宅に呼ばれると、餃子が振舞われることが多かった。それも、こちらがホストより年少であれば、食事時間より早めに呼ばれて、具作り、皮作りに参加させてもらえるのだ。餃子作りは、具作り、皮の生地作りからはじめる場合もあれば、すでに、具と皮生地はできていて、生地を一枚一枚のばすところからやらせてもらうこともあった。中国では、麺打ちはだいたいその家のご亭主の仕事だった。
 学生時代は上海にいたので、粉食系の食べ物の美味しさを実感する機会はさほどなかったが、粉食には、米とは根本的に違う美味しさがあることを知ったのは1988年から91年にかけて、駐在員として初めて住んだ北京であった。
 外で売っている「餅(ビン)」と羊の肉などをあわせて食べるとマトンの滋味と熱い餅の味が重なってなんともうまかったし、葱を練りこんだ「餅」も葱の風味が美味しかった。上海ではさほど美味しいとは感じなかった「饅頭(マントウ)」も、味のこってりとした北方系の料理には確かにあうと思った。
 「餃子ほど美味しいものはなく、寝るより楽なことはない」ということわざがある。ことほどさように、中国人の、特に北方人の餃子に対する愛情はなみなみならぬものがある。ゆえに、私にとっての「粉食の聖地」とも言える北京で、春節前に、高齢のご婦人が冷凍餃子を買うために、スーパーに行列をつくるなどという現象がおころうとは、いまから10年前には想像することはできなかった。
 冷凍餃子は、多品種少量選択と同時に、時間節約という側面がある。粉を練って、寝かせて、具をつくって、一枚一枚皮を伸ばして、そしてつつむ。確かに、そうしてつくった餃子はうまいが、忙しいときはそんな悠長なことをしてはいられない。だから、冷凍餃子が平時に売れることは理解できる。しかし、中国の人々がことのほか大事にする春節に売れているとは。北方の人々が、「時間節約」と、自家製餃子の美味しさをトレードオフするとは、いまだに信じられない思いがする。
 90年代初頭も忙しい人は確かにいたが、庶民の暮らしにはゆったりとした時間がながれていた。いや、庶民には、金や物はなかったが時間だけはあるというのが真実であった。90年代初頭の中国の庶民は、自分の時間と労力で解決できる問題には金は使わないものだった。どうも私はその観念に縛られているようだ。

 冷食市場の今後

 中国の冷凍食品の生産量は、2002年の数字で1000万トン弱。とすると、一人あたり8キロという生産高になる。しかし、輸出もあるので(日本の冷凍食品の輸入元トップは中国)、1000万トンすべてが内販にまわっているわけではない。
 日本の一人あたりの消費量は03年の数字で17.3キロ。中国が日本並になると、中国の冷食市場は倍になる計算だ。先進国のなかでは、日本の消費量は低いほうで、米国は一人当たり60キロ、フランスは30キロだ。仏並になると、いまの市場が4倍近くに増える。
 冷食市場は、業務用と家庭用にわかれ、日本では業務用2に対して家庭用1という比率だ。中国の場合、まだ業務用市場は発展していないので、日本並みになるにしても、今後の外食産業の伸びが、冷食市場の発展には欠かせない。
 量の拡大と同時に、商品の多様化も求められている。現在、中国の冷食市場の商品構成は、餃子、点心、饅頭などの調理品が4割を超える。日本同様、野菜や肉、また菓子などにも商品が拡大していくと市場規模は広がる。
 粉食系冷食は、「蒸す」「茹でる」という調理法が基本。格蘭仕(グランツ)が数百元という安価な電子レンジを売り出し、近年、都市部でレンジは急速に普及した。2003年度版の中国統計年鑑で見ると、都市部の電子レンジ普及率は30.9%。北京広播学院にある市場調査機関、IMIの資料で見ると、北京、上海、広州、成都、重慶、武漢、西安、瀋陽、南京の9都市の平均で約5割、上海に至っては、83.7%の普及率である。
 味の素元社長の藤木正一によれば、日本では電子レンジの普及率が5割を上回った段階で、レンジ使用の冷食の開発にメーカー各社が走った。しかしその時は時期尚早で、その三年後ぐらいから電子レンジタイプの冷凍食品が消費者に受け入れられるようになったという。(「加工食品産業の発達と家庭の食」『講座食の文化三 調理と文化』農山漁村文化協会) とすると、あと数年経つと、レンジ仕様の点心類が市場の主流となるかもしれない。

 『変わる家族 変わる食卓』(岩村暢子 筑摩書店 2003)を読むと、ここ数年(特に2000年ぐらいから)、日本人の食は劇的に変化したことがわかる。(レトルトカレーが家族の夕食として普通に出されるようになった!)
 しかし、日本人の食は、簡便化に向かって一直線に進むことはなかった。「主婦は家族にお手製のものを出す」というモラルのようなものが働いて、そのタガが外れるまでには時間がかかったのだ。冷凍食品は副食が先行し、冷凍ピラフや冷凍焼きおにぎりが普及するのに時間がかかった事実を見ればわかる(だが、いったんそのタガがはずれるといっきに普及した。冷凍ピラフは現在、生産量でみると、コロッケ、うどんに継ぐ、第三位)。
 中国の場合、もともと夫婦共稼ぎで、「お母さんのお手製」云々の幻想は薄い。ゆえに、冷食の家庭普及は、日本よりも速いスピードで進行するのではないか。
 中国経済の泰斗小島麗逸は、都市化によって「家庭調理文化」が解体し、食が簡便化と「遊びとしての調理」に二極分化するという現象を指摘した(『都市化と食』ドメス出版)。 
 とすると、いつの日にか、粉まみれになって餃子をつくることが、「中国的スローフードの復権」などといって、贅沢な遊びとしてテレビや雑誌に取り上げられる日が来るのかもしれない。しかしそれも、なんとも寂しいが。

  参考文献: 阮蔚 「グローバル化が加速する中国の食品市場と食品産業」『農林金融』2002年5月
          阮蔚 「WTO加盟後の中国における日系食品企業の動き」『農林金融』2003年11月
          「中国冷凍食品事情」『WALKER CHINA』2003年12月


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