<目次へ>
     第8号 2009.10.22発行 by 岡田 充
    民族復興が新たな国家目標
建国60年、台湾の優先度は後退



 中華人民共和国が10月1日、建国60周年を迎えた。建国60周年は、北京と台北が台湾海峡の両岸で分断統治を開始し、「両岸関係」が発生してからの60年でもある。ではこの60年、中国人が考える「新中国で最も影響力のあった文化人」は誰か。正解は台湾出身の歌手「鄧麗君(テレサ・テン)」。北京の国務院新聞弁公室が主宰する「中国ネット」(china.com.cn)が7月24-8月31日に行ったユーザー向け調査で、約2400万の投票者のうち、約35・7%に当たる854万票余りを集め断トツの1位となった。中国文学を代表する老舎や巴金、京劇役者の梅蘭芳、映画監督の張芸謀などは形無しである。
テレサ特集を組んだ「明報周刊」の表紙
テレサ特集を組んだ『明報周刊』
 香港特派員をしていた1980年代後半、隣接する広東省に取材に行くたび、街頭でテレサの甘い歌声が流れていたのを思い出す。共産党は当時「反ブルジョア精神汚染運動」を進め、テレサの歌に「みだらな音楽」のレッテルを張った。しかし広州や深圳の繁華街では海賊版のテープが堂々と出回り、街中が「みだらな音楽」だらけだった。
 ささやくような柔らかい声は、イデオロギー中心の世界に風穴を開け、政治に傷ついた多くの民衆の心をとらえたのだった。台湾・雲林県で生まれた彼女の夢は、両親の出身地である中国大陸でコンサートを開くこと。しかし89年の天安門事件に抗議し夢はかなわぬまま、95年タイで病死した。この辺りの経緯については、有田芳生の「私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実」1 に詳しい。
 テレサの歌が両岸の民衆の心をつかんだ80年代後半から、両岸の経済とヒトの交流がゆっくりと始まった。



消えたML主義と毛思想
 10月1日、天安門広場で行われた60周年記念祝典と、10年ぶりの軍事パレードは、経済・軍事両面で「世界の大国」となったパワーを誇示する目的を十二分に発揮した。「冷戦時代のような時代錯誤の軍事パレードや北朝鮮をほうふつさせるマスゲーム~中略~「共産党独裁」の地金をむき出しにする演出」 2と、日本メディアの目は総じて厳しい。
 10年前の記者の目はどうだっただろう。「壮大なスペクタクルだった。それは共産党政権がこの半世紀の成果と威信を内外に誇示する狙いだったろうが、どこか現実離れしたショーのイメージがぬぐえなかった」3 。江沢民時代の1999年に行われた建国50周年の軍事パレードについての論評と比べると、60周年に向く「厳しい視線」は鮮明である。テレビで軍事パレードを見た多くの視聴者も、米国全土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風31A」の巨体に目を奪われたに違いない。
 さて、胡錦濤が天安門楼上で行った祝賀演説の内容に触れたい。建国50周年の江沢民演説と比べると、その違いは10年という「時の流れ」を超える質的変化が読み取れる。日本メディアがあまり報じなかった点である。
 まず台湾政策。江演説は「平和統一、一国二制度の方針を堅持し、台湾との統一により祖国の完全統一を果たす。これは中国人民の固い意志である」4 と、台湾との統一を前面に押し出している。これに対し胡錦濤は「海峡両岸関係の平和的発展を推進し、中華民族の共通の願いである祖国の完全統一を実現するために今後も奮闘」とした。「祖国の完全統一」という戦略目標は述べているが、ポイントは「両岸関係の平和的発展」に置かれている。江演説は、李登輝元総統が7月に提起した「両国論」をめぐり、台湾海峡が極度に緊張したことを背景としているのに対し、胡演説は、馬英九政権の登場で両岸関係が好転したことを受けていることは言うまでもない。
 第二に、江演説は「マルクス・レーニン主義(ML主義)、毛沢東思想、鄧小平理論の偉大な旗印を掲げて前進しよう」と、共産党の伝統的な指導思想を列記した。しかし胡演説には「改革・開放がなければ中国を発展させ、社会主義を発展させ、マルクス主義を発展させることはできなかった」との表現が1カ所登場するものの、三つの指導思想は列挙されなかった。市場経済原理が国家、社会のみならず、共産党の運命をも左右する時代に入った中国で、これら指導思想の神通力はとうに失われた。しかし60年の節目の演説からML主義、毛思想が消えた意味は小さくはない。これはいったい何を意味するのか。

「中華民族の復興」がカギ
 第三の特徴は、胡演説が「中華民族の偉大な復興」というキーワードをたびたび使っている点である。これは単に「中華民族の共通の願いである祖国の完全統一」という、台湾統一だけを意識したものではない。むしろ共産党がその国家目標を「社会主義革命」に限定せず、辛亥革命以降の中国近代化の延長線上に「中華民族の復興」という目標を設定したことを意味している。マルクス・レーニン主義や毛沢東思想が力を失い、「社会主義から共産主義への移行」などという国家目標を設定したところで、民衆はだれも信じない。求心力を失いつつある共産党が、国民統合の新しい理念として「中華民族の復興」というナショナリズムを設定したと読み込むのが理にかなっている。
 一方、江沢民は「社会主義近代化を果たし、富強、民主、文明を備えた中国が世界の東方に必ず姿を現す」と演説を締めくくった。これに対し胡錦濤は「中華民族の復興という偉大な目標を実現するために今後も勇躍前進」と強調する。「社会主義近代化」と「中華民族復興」という二つの表現を比べれば、その差は明らかであろう。
 共産党の従来の歴史観に沿えば、中国近現代史は1949年の社会主義革命の成功を軸に、「旧社会」と「新中国」に分けられてきた。しかし最近は49年で線引きをするのではなく、「継続性」を指摘・強調する言説が出始めている。例を挙げよう。
 「新中国が誕生した際、毛沢東は国名を変更するつもりはなかった。なぜなら(新中国は)『中華民国』の消滅ではなく、旧民主主義革命の継承・発展だったからである。中国の主権は終始保全されており、ただ海を隔て統治されたのは、両政府間の内戦が続いていたからであった」。こう書くのは、「両岸60年 自ら経験した大転変」5 と題する論文を寄せた上海東亜研究所長の章念馳である。「毛沢東は国名を変更するつもりはなかった」という記述は興味深いが、この文章の意図は、台湾の主権は中華民国を継承した中華人民共和国にある、ということを強調するためだけではない。
 章は両岸の窓口機関、両岸関係協会の故汪道涵会長のブレーン。江沢民の対台湾政策の基本原則である「江8点」6 起草作業に携わるとともに、胡錦濤が昨年末発表した「胡6点」7 策定にも影響を与えた。辛亥革命に加わった国学者、章太炎(章丙麟)の孫(写真参照)であり、開明派といってよいだろう。目鼻立ちは祖父を彷彿とさせる。

平和発展は長い過程
 章は一昨年初め来日した際、中台統一問題についての筆者の質問に対し「統一は過程に過ぎない。ある日突然実現するわけではない。経済相互依存関係の深まりなどを通し実現する、非常に『長い過程』である。3,40年かかる」と答えていた。いまから考えれば「胡6点」で鮮明になる台湾政策の「平和統一から平和発展への転換」を、あの時点で示唆していたことが分かる。
写真:章念馳(中国評論月刊) 写真:章太炎(「百度百科」)
章念馳(中国評論月刊) 章太炎(「百度百科」)

 さらに章は「江8点」について「台湾の主流民意とは何か。94年ごろ汪道涵と10数回にわたって研究し、それを4点に絞って中央に提言した。主流民意をまとめれば第1に安定、第2に平和、第3は発展、第4は『しかるべき地位』だった。中央に提言すると4番目は消されていた」という興味深い秘話も明かしてくれた。その後、彼は著作や論文でこのくだりを自ら明らかにしている。
 章は先の論文「両岸60年 自ら経験した大転変」(以下「両岸60年」と略)の中で、自ら参与した台湾工作の経験を振り返り、現在と将来の台湾政策を12項目に要約している。これを読むと、現在の台湾政策の基調である「平和発展論」の具体的なイメージがつかめると思う。まず胡錦濤時代の台湾政策の特徴と、馬英九政権誕生に至る経緯などについて章は次のように書く。少し長いが以下に抄訳を載せる。

 ―われわれは2008年に台湾で再度政権交代させることを、間接的に促した。そして「92年合意」を再確立し、未曾有の「三通」の新時代を切り開いた。「国共協議」「国共フォーラム」は「第3次国共合作」の役割を発揮、両岸は「平和発展」の新時代に入った。
両岸の要因は台湾の選挙情勢を左右するようになり、「反中」は民進党が票獲得のための唯一の選択肢ではなくなった。両岸関係を改善することは、逆に有権者の普遍的要求になる。グローバルな経済危機に直面して、台湾は中国に依拠してこそ危機から脱出出来るのであり、両岸が共同利益を求める道こそが危機脱出の出口だ。
両岸が「平和発展時代」に入り、「三通」を実行し大交流、大協力の時代に入り、対話と交渉が対立と対抗に替わり、経済融合が軍事的対立に替わることは、両岸が共同利益と共同の意識、共同文化と共同の価値と共同の民族主義を育み、創造する好機である。
 「平和発展期」は「平和統一期」に向けて必ず通過しなければならない過渡段階である。この段階は決して短期ではない。必ず「先経後政」、「先易後難」から始め、両岸の解けない政治的な結び目をほぐし、政治的和解を獲得することである。台湾で再び政権交代が起きる可能性はあるが、台湾が李登輝、陳水扁の時代に戻ることは民衆が許さない。その時代は終わった―

カギは中国自身の問題解決
 この現状認識を基に、章は12項目の政策提言にまとめている。全体についてはネットの原文に当たって欲しい。ここでは幾つかのポイントに絞って読み込む。
 第一のポイントは、繰り返しになるが「台湾問題を必ず中華民族の復興の偉大なプロセスの中から考慮し、中国の未来と運命という大局から考慮し、民族の根本利益と国家の核心的利益を把握しなければならない」(第1項)という点である。彼は続いて「台湾問題を台湾問題として論じてはならない。単純な台湾問題は存在しない」とする。さらに大局から台湾問題をとらえることによって「統一か独立か」という二項対立を脱し、「陳水扁の挑発に踊る」ことから脱したとも書いている。
 第二は、「繁栄し富強で文明的な民主的で近代化した強国を建設することが、統一の保障」(第2項)とし、統一の条件として「繁栄と民主化」を挙げる。さらに、台湾問題を「中国、米国、台湾の三角関係の互動の産物」(第3項)としてとらえ、「統一に影響を与えるこの三要素のうち、中国大陸が自分の事を良くやることこそ鍵である。中国を「大」、台湾を「小」と考えるべき」だとする。馬政権との良好な両岸関係の下で、台湾問題の優先度が後退したことをうかがわせている。
 第三は、武力統一の事実上の否定である。第4項で「平和統一こそが唯一正確な道である。中国人民の反分裂能力と中華文化の統一を維持する能力は、戦争では勝ち取れない」と書く。さらに平和統一も「一朝一石にはできない。平和統一もプロセスであり、各段階にはそれぞれの歴史的使命があり、漸進的な融合を進めることだ」(第5項)とし「先易後難、先経後政」の原則を繰り返す。さらに「政治的な分岐は両岸関係の最も先鋭的矛盾」と位置づけた。北京も台北も、メディアを中心に「政治協議入り」の展望を競って報道するが、彼は、早期の政治協議入りには懐疑的な見通しを示している。
 以上が章念馳の「両岸60年」の要点である。「開明派」と書いたように、彼の提言や見通しがそのまま北京の政策に直結するわけではない。中国経済が極度に落ち込んだり、国内の安定に大きな動揺が生じれば、対台湾強硬派が台頭する可能性は充分ある。ダライ・ラマ訪台受け入れをめぐる馬政権への対応や、台湾との経済包括枠組み協定(ECFA)締結をめぐって、共産党内部には「台湾に妥協しすぎ」という異論が出始めていることを付け加える。
(了)



 
2005年 文藝春秋社)
09年10月1日(共同通信「独裁体質むき出しに 「時代錯誤」に反発も」)
 ⅲ 99年10月1日(共同通信「大型評論」)
 ⅳ 99年10月1日(新華社電)
 ⅴ 2009年9月28日(中国評論新聞網「兩岸六十年 親歴滄桑変」)http://www.chinareviewnews.com/doc/1010/8/4/2/101084245.html?
coluid=33&kindid=541&docid=101084245&mdate=0928002340
 ⅵ 95年1月 江沢民は台湾に向けて「一つの中国」の原則の下で敵対状態終結交渉など8項目を提案。李登輝は3カ月後、中国の武力行使放棄など6項目を逆提案、「江8点」を拒否。
 ⅶ 09年2月7日(岡田充 両岸関係論1号「台湾政策を「平和発展」に転換 「胡6点」の意味を探る」http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_01.html

(了) 

上へ