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     第44号 2014.03.04発行 by 岡田 充
    識別圏「不都合ない」と政府答弁
尖閣、日本の領有論拠を実証研究
 尖閣諸島(中国名 釣魚島)の日本領有の論拠と歴史的経緯に関する日本政府の「物語」が完成したのは1972年になってからであり、1950年代半ばには、政府当局者が「尖閣諸島」の名称すら認識していなかったことが、このほど発表された論文で明らかにされた。論文は、法政大学大学院修士課程の笘米地真理氏の「領土問題に関する政府見解-尖閣諸島をめぐる国会答弁を中心に」。領有に関する政府の国会答弁を丹念に調べ、その主張の時期特定を実証的に研究した。政府答弁の中には、防衛庁(当時)が72年、中国が尖閣諸島を彼らの防空識別圏(ADIZ)に含めても「格別、不都合ではない」と答えていたことも明らかにされている。中国が昨年11月23日発表したADIZに対し、安倍晋三首相は「尖閣領空が中国の領空であるかのごとき表示で受け入れられない」と、中国に撤回を求めているが、72年当時の防衛当局の認識は全く異なっていたことが分かる。
 論文は、領有権主張する日本政府の論点として①「無主地先占権」の法理適用②1895年1月の閣議決定による編入③日本が一貫して有効に支配してきた「固有の領土」④領土問題は存在しない⑤「棚上げ」の有無―などを挙げ、各論点について、日本政府がいつからその主張をしたかを特定している。われわれは、明治政府が尖閣を編入した1895年以来、日本政府が120年間にわたってずっと、このような主張をしてきたと思い込みがちである。だからこそ中国や台湾の領有権の主張に対しては「石油が出そうになってからの後出しジャンケン」との見方をすることになる。しかし1895年の閣議決定が秘密裏に行われ、内外に初公開される1952年まで、中国や台湾はもちろん日本人も知らなかったことを認知すれば、そうした認識は揺らいでしまう。歴史的事象に対して「現代の認識枠組みを用いて、『過去の歴史的時点での事象』」を無意識のうちに当てはめている」(名嘉憲夫「領土問題から『国境画定問題』へ」明石書店 2013年)ことが多い。これは日本だけでなく中国も同様である。論文の最大の成果は、尖閣問題で往々にしてはまりがちな認識上の「落とし穴」を自覚させてくれたことである。
島名すら答えられず
 論文は、サンフランシスコ平和条約の発効とともに、尖閣が沖縄と共に米国の施政権下にあった1954年、55年当時、外務省官僚は尖閣諸島をどう認識していたかに迫る。まず、戦後の日本国会で尖閣について初めて言及されたのは1954年2月15日。水産庁の立川宗保漁政部長が「ヘルイ演習場と申しますのは(中略)、漁釣島だろうと思います」と答えていた事実をつかみ「島名を間違っている」と指摘した。翌55年には外務省高官が「琉球の一番南の方の台湾に近い島、非常に小さな島のようであります」などと答えていたことが明らかにされている。米施政下に置かれていた当時、尖閣諸島の名前すら知らなかったのだ。「固有領土論」がいかにいかがわしいか…
 その後、国会で尖閣が取り上げられるのは、沖縄返還が現実味を帯びてくる1967年からであった。台湾人が島に上陸して基地を作り、漁業をしていることを問題視した野党議員の質問に当時の佐藤栄作首相(写真上 Wikipedia)は「施政権がないので、施政権者から話すのが本筋」(67年6月)と答えた。日本の首相による初の言及である。官僚上がりの宰相らしい答えだが、「日本政府が一貫して有効支配」という論拠がぐらつく答弁であった。
 では、日本政府が1895年の閣議決定によって領土編入したことを公言したのはいつからか。笘米地は1970年4月の参議院予算委での山中定則総務長官が初めてだったことを明らかにする。閣議決定は「国標を建てるべし」という内容だが、実際は建てられなかった。石垣市が「市標」を建てたのは、台湾との領有権紛争が顕在化した1969年5月になってからであることは既に知られている。市標建設は山中答弁の前年のことであり、台湾、中国の主張を「後出しジャンケン」という資格は日本側にはない。日本の主張の欠陥を示すものであろう。
 では日本政府が、公に領有権を主張したのはいつの時点からか。論文は、1970年9月7日、外務省条約局参事官が初めて官僚として領有権の主張をし、続いて同9月10日には愛知揆一外相が「尖閣諸島の領有権問題につきましては、いかなる政府とも交渉とか何とかを持つべき筋合いのものではない、領土権としては、これは明確に領土権を日本側が持っている」と、外相として初めて答弁したことを明らかにした。
物語の完成は72年
 日本が主張する現在の「物語」はいつ完成したのか、その時期も興味深い。笘米地は完成に先立つ大筋の論拠に、71年11月12日付の佐藤栄作首相による答弁書を挙げる。答弁書の概略は①歴史的に一貫してわが国の領土である南西諸島の一部を構成②下関条約で清国から割譲した台湾には含まれない③従ってサンフランシスコ条約2条に基づき放棄した領土には含まれない④沖縄返還により施政権が返還される地域に含まれる―であった。
 答弁書は主として、沖縄返還に伴い施政権が返還される尖閣の地位に焦点をあてた内容。笘米地によると、琉球政府が70年9月17日に発表した尖閣に関する声明で「閣議決定」を領有の根拠として初めて言及したのを受け、山中総務長官が70年10月7日の参院決算委で、政府として初めて「閣議決定」を領有の根拠にしたという。
 さらに「無主地先占権」の法理を国際法上の根拠と政府が初答弁するのは、72年3月21日の衆院予算委。楢崎弥之助議員の質問に対し、高島益郎外務省条約局長が答えたのが初めてとする。こうしてみると、沖縄返還交渉が開始されると台湾が領有権を主張、台湾は当時国交のあった米国のニクソン政権に対しても、尖閣を沖縄返還と切り離して日本返還に反対するようになった新状況の下で、日本政府はあわてて領有の「物語」を完成させたと笘米地はみる。これは矢吹晋・横浜市大名誉教授が「尖閣衝突は沖縄返還に始まる」(花伝社 2013)で展開した論旨と平仄が合う。
識別圏の重複問題ないと答弁
 先に引用した72年3月21日の衆院予算委の楢崎質問は秀逸である。楢崎は、日本政府が沖縄返還に絡み、69年に米軍の防空識別圏(ADIZ)をそのまま引き継いだことを取り上げ、ADIZの中に尖閣諸島が入っていることが、今後中国との領有権争いのタネになるのではないかと質問する。楢崎は竹島と北方四島は、日本のADIZには入っていないから、防衛庁は尖閣を外して新たに線引きする用意はないのかと迫る。
 防衛庁久保卓也防衛局長とのやり取りを再録する。
 ○楢崎分科員 中国側が尖閣列島の領有権を主張する、もしそこに日本の飛行機がADIZで飛んでいく、そうすると、中国側が自分の領土に飛んできたということで、スクランブルをかけないという確信があなた、ありますか。
 ○久保政府委員 共産圏のADIZがわからないのでありますが、極端な例を申しますれば、わがほうのADIZと共産圏側のADIZが交錯をしている、たとえば尖閣列島を互いに取り込んでおるということでも、格別それが不都合ということにはならないというふうに私は思います。また事実上の問題としましては、 尖閣列島の上空を飛んでいる場合に、わがほうが間に合うというわけにはまいりません。
 ○楢崎分科員 私は、現実にやはり非常にトラブルの起こる可能性があると思うのです、ないことを祈りますけれども。起こってからではおそいのですよ。だからこれは慎重に配慮して、私は竹島と同じように防空識別圏から一応はずされたほうが――竹島がそうでしょう。争いがあるから竹島と同じような例にすべきだと私は思います。

 どうだろう、久保防衛局長は、仮に中国側が尖閣をADIZを取り込む線引きをしても「格別不都合ではない」と答えているのだ。42年前にはこんな認識だったことは興味深い。もうひとつ注目したいのは、久保が「事実上の問題としては、尖閣列島の上空を飛んでいる場合に、わがほうが間に合わない」と答えていることである。「上空を飛んでいる場合」という言葉に主語はないが、前後の文脈から考えれば「共産圏の航空機」であろう。ADIZが米国から日本に移管されてから3年。当時のレーダー監視能力では「共産圏の航空機」が尖閣領空に入っても、自衛隊機がスクランブル発信しても「間に合わない」という「防空能力」の限界を指摘したのだろうか。それから約40年を経て、ようやく中国側が彼らのADI Zを発表したことは、彼らのレーダー監視能力が日本にようやく追いついたことを物語る。
『棚上げ』こそ国益と園田外相
 論文のハイライトは「棚上げ」論である。彼は結論として、自民党政権下では、表面上の公式見解として棚上げを否定する一方、実態上は棚上げ方式に基づく実務対応をする「ダブルスタンダード」だったことを実証的に明らかにする。その主張には異論はない。ただ、72年の日中復交から78年の平和友好条約に至るまでの「棚上げ否定」答弁をよく読むと、その多くは、棚上げに反対する自民党タカ派に向けて、政府・与党主流がそれを否定せざるを得ない苦しい表現が随所にみえる。つまり当時否定したのは内政上の必要からであり、現在日本側が棚上げを否定するのは、中国向けという外交上の必要からであろう。同じ棚上げ否定といっても、その意味する文脈は大きく異なる。
 また領土問題の不存在について笘米地は、1985年4月22日の衆院沖特委での安倍晋太郎発言が最初だったことを議事録から解明した。安倍外相はこの中で「中国が独自の主張をしていることは承知」としつつも「中国との間に尖閣諸島の領有権をめぐって解決すべき問題はそもそも存在しない」と答えているのは事実である。同時に安倍は、中国が求める大陸棚の石油共同開発については「中国との境界画定問題があるので…中略…今後中国側と相談していく」と答えた。よく読めば、「中国が独自の主張をしていることは承知」との表現で、領土問題が事実上存在していることを認めるとともに、境界画定が絡む石油共同開発については中国と話し合うといしている。息子の晋三とは違い、父親の晋太郎は現実的な政治家であった。
 最後に、1979年5-6月、沖縄開発庁が実施した魚釣島学術調査をめぐり、海上保安庁がヘリポートを設置したのに対し、中国が遺憾の意を表明した。これに関し当時の園田直外相(写真上 渡部亮次郎著「園田 直・全人像」行研 1981年)が、ヘリポートの恒久化を認めないと発言した後、「棚上げ」を主張した鄧小平発言を評価するくだりがある。興味深い発言なのでこれも再録する。党内向けには「棚上げ」を認めるわけにはいかないが、『棚上げ』こそ国益という言葉がノドまで出かかった園田の本音がうかかえる答弁である。「あとの答弁はお許しを」の部分にその気持ちがにじむ。
 1979年5月30日 衆院内閣委議事録。
○井上(一)委員 
 もう一つここで、現在の仮設のヘリポートを恒久的な、永久的な施設にする方針があるように私は聞き及んでいるのです。そういうことが本当に日中の平和友好関係維持のためにどういうふうに作用していくのであろうか、こういうことを考えますと、私なりの一定の懸念も持つわけなんです。大臣、どういうふうにお考えでしょうか。その点についてひとつお聞かせいただけないでしょうか。
○園田国務大臣 
 これは単に日本と中国との関係ということばかりでなく、日本の国益ということを考えた場合に、じっとしていまの状態を続けていった方が国益なのか、あるいはここに問題をいろいろ起こした方が国益なのか。私は、じっとして、鄧小平副主席が言われた、この前の漁船団のような事件はしない、二十年、三十年、いまのままでもいいじゃないかというような状態で通すことが日本独自の利益からいってもありがたいことではないかと考えることだけで、あとの答弁はお許しを願いたいと存じます。
(敬称略)
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