<目次へ>
     第91号 2018.06.14発行 by 岡田 充
    米朝会談は北朝鮮の「大勝利」
拉致の魔力に縛られる日本
 シンガポールで行われた歴史的な米朝首脳会談(写真 両国国旗を背に並ぶ両首脳 abemaTVから)は、トランプ米大統領が、体制保証と非核化を段階的に進めるという金正恩・労働党委員長の主張に大幅譲歩し、平壌は「体制保証」と「米韓演習の中止」を得る「大勝利」の結果になった。正恩氏と二回にわたる首脳会談で関係改善した中国の主張とも一致しており、北京も平壌の「後盾」の役割を十二分に発揮した。
核・ミサイル政策の勝利
 共同声明によると、正恩氏は「朝鮮半島の非核化」を約束する一方、トランプ氏は北朝鮮が渇望する「北朝鮮の安全を確約」して事実上の体制保証を与えた。朝鮮戦争の「終結」宣言はなかったが、正恩氏は「ミサイルのエンジン実験場の破壊」を約束、トランプ氏は「米韓演習の中止」を表明し、安全保障面でもお互いに「善意」を示し合った。
 朝鮮中央通信は、両首脳が「朝鮮半島の非核化を成し遂げる過程で段階別、同時行動原則を順守することで認識を共にした」と伝え、トランプ譲歩を際立たせた。
 なぜ平壌が「大勝利」したのか。北朝鮮情勢に詳しい在京消息筋はこうみる。
 「まず米朝の力の変化。北朝鮮がアメリカ大陸まで届くミサイルと核を保有する国になったことが大きな背景です。切羽詰まって直接対話に応じたのはワシントン。トランプは全面的に譲歩せざるを得なかった」
 祖父、父親が進めてきた核・ミサイル開発を完成させ、事実上の核保有国のステータスを獲得したからこそ、長年の主張である米朝直接交渉が実現し、譲歩を勝ち取ったという論理。北朝鮮にとって核は、米国の軍事攻撃を思いとどませる抑止力であると同時に、交渉に引き出すためのカードだった。
非核化は段階的、同時並行で
 共同声明には、アメリカが主張してきた「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)は盛り込まれず、トランプ氏も「完全非核化には技術的に長い時間がかかる」と認めた。最大50発の核を保有するとみられる北朝鮮に、いきなりCVIDを適用するのは、そもそも「無理筋」。今回の「非核化」は事実上の「包括的枠組み合意」であり、今後はポンペオ国務長官と北朝鮮外相による「実務協議」に委ねられる。
 体制保証は「口約束」に過ぎない。「思い付き」と「変わり身の早さ」で知られるトランプ氏のことだ。実務協議が行き詰まれば、体制保証どころか「戦争の危機」が再現される可能性すらある。平壌からすれば、停戦協定の平和協定への移行や国交正常化など、政権が変わっても有効な不可侵のシステムを構築しなければ安心できない。
 前出消息筋は「米朝合意の基礎は、韓国大統領府国家安保室長が3月に訪朝した際、正恩氏が『アメリカの脅威がなくなれば、核を保有する理由はない』」と語ったことに象徴的に表れています」とみる。「段階別、同時並行原則」のプロセスで、平和協定への移行など体制保証の具体措置が導入されれば、非核化へ向けた具体的な取り組みに着手するとみる。
米中パワーシフトの磁場に
 米朝首脳会談までのこの半年、南北コリアと米中の四か国による激しい外交駆け引きが展開されてきた。
 第一は南北コリア。膠着状態に風穴を開けたのは「何としても戦争だけは防ぐ」として、軍事行動に協力しない姿勢を貫いた文在寅・韓国大統領。それに正恩氏が乗った「南北協力」の成果だった。大国間の利益の草刈り場になってきた朝鮮半島で、「南北コリア」が初めて主役になった。
 第二に中朝関係。習近平時代に入り中国は平壌への制裁強化を厳格に執行。トランプ政権と協力して有事の際の「北の核管理」や「難民収容」に向けて、中朝越境行動シナリオすら描いた。しかし、正恩氏の二度の訪中で中朝関係は「伝統的友好関係」を取り戻す。
 第三は米中関係である。トランプ氏は大連での第二回中朝会談後の5月半ば、これまでほめちぎってきた習近平氏を「世界一流のポーカープレーヤー」と皮肉った。「北朝鮮の態度変化は、中国が影響力を行使したため」といわんかりだった。
 一方、習氏の対米、対北朝鮮政策は①関税引き上げや台湾問題、南シナ海問題で、米国は中国に敵対措置を打ち出しており、中国は近隣諸国との関係強化で対抗する②中国自身の利益のためにも朝鮮問題で中心的役割を演じる―にある。朝鮮問題は、パワーシフト(大国間の重心移動)の磁場となり、米朝の背後で、米中は勢力消長をかけた綱引きを演じている。「北朝鮮が中国以上に米国と親密になるのは悪夢」というのが中国の本音。北朝鮮が過度に米国傾斜するのは容認できない。今回の曖昧な「枠組み合意」は、歓迎すべき結果だった。
受益者と被害者の利害対立
 これほど大きな地殻変動が進んでいるのに、安倍政権は「安全保障環境は一層厳しさを増している」と、北朝鮮と中国の脅威をあおり続け、軍事傾斜した安保政策に前のめりだ。トランプは6月1日、米朝会談の実施発表の際「もう最大限の圧力という言葉は使いたくない」と明言した。最も慌てたのは「百パーセント米国と共にある」と言い続けてきた安倍であろう。「ハシゴ外し」とはこのことである。直後にシンガポールで開かれた日米韓三国防衛相会談の共同声明からも「圧力」という言葉は消えた。
 「蚊帳の外」に置かれた安倍政権を揶揄するのが本稿の目的ではない。
 米朝会談は、会談中止を決めたトランプが8日後に再設定するなど迷走が続いた。なぜか。米朝首脳会談は北朝鮮の非核化にとどまらない歴史的な意義がある。米朝和解が実現し平和協定が結ばれれば、70年以上続いてきた北東アジアの冷戦構造の一角が崩れ、米国の同盟関係の基盤が揺らぐかもしれない。
 米中パワーシフトにも拍車がかかる。冷戦と冷戦後の受益者と被害者の利害が対立するだけではない。米国と日本、韓国では、深刻な国内対立をも引き起こす。これらの国では選挙の洗礼を受け指導者が交代する宿命にある。東アジア秩序そのものがかかっているため、選挙目当ての小手先の「取り引き」では手に余るのだ。迷走はその表れでもあった。
 状況が目まぐるしく変化する中、東京を舞台にした外交も展開された。日中首脳会談と日中韓首脳会談(5月9日)である。結果はどうだったか。核・ミサイル問題では、安倍の持論である「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」は盛り込まれず、短中距離ミサイルの廃棄にも一切言及はなかった。歴史認識でも中国との摩擦が表面化した。米朝首脳会談を前に、北朝鮮と首脳対話を進め安定的な環境を保ちたい中国・韓国と、ブレーキをかけようとする安倍政権との摩擦を目立たせる結果になった。
拉致も米国頼み
 「蚊帳の外」に置かれてきた安倍は6月7日、日米首脳会談後の記者会見で、金永恩・労働党委員長との日朝首脳会談の開催に意欲を公式に表明した。「バスに乗り遅れるな」の焦りが滲む。しかし首相の関心は核やミサイルではない。「何よりも大事な拉致問題」を、米朝首脳会談でトランプ米大統領に提起してもらう陳情が主要目的だった。トランプに頼るしかない安倍発言を聞いて「保護者(米国)がいないと何もできないのか」とつくづく思う。
 韓国国立外交院のキム・ヒョンウク副教授は、共同通信の取材に、「トランプ氏にとって国内で支持を獲得する上で日本の必要性は落ちている。トランプの立場からすると、拉致問題は重要な利益の範囲外と感じているのではないか」と見る。日朝首脳会談の開催も、日本の対北経済協力を引き出すためのトランプ圧力の成果ではないか、と勘繰りたくなる。本来、日朝関係の正常化は、日本が必ず果たさねばならない課題であり、わざわざワシントンで発表する話ではない。ましてや、安倍が最重視する拉致問題は日朝間の問題であり、ワシントンではなく日本できちんと説明し発表するテーマだろう。このニュースが伝えられると、「被害者の帰国につながる話をして欲しい」という拉致被害者の家族の声が、反響として報じられる。米国頼みのこの姿勢が、拉致家族や世論にまで浸透している現状をどう見ればいいのだろう。 
タブーになった拉致問題
 上海で5月末、日中関係や朝鮮半島問題について話をする機会があり、中国の国際政治専門家と意見交換した。ある研究者から「北朝鮮は拉致問題は解決済みと言っている。金正恩の父親の金正日が小泉元首相に拉致を認め謝罪した以上、それを翻すことはあり得ないのではないか。日本政府は、拉致被害者全員を帰国させる自信を持っているのか」と尋ねられた。真っ当な質問である。
 それに対し「拉致被害者全員が直ちに帰国できると信じている日本人は少ないと思う。ただ北朝鮮側が死亡したと言っている横田めぐみさんの生死を含め、それを議論すること自体が日本の言論空間ではタブーになっている」と答えた。だが、なぜタブーなのかこの研究者は納得できない様子だった。
 そこで、評論家の田原総一郎氏が2009年「有本恵子ら横田めぐみさん拉致被害者が生きていないことは外務省もわかっている」とテレビで発言し袋叩きにあったこと。拉致問題は、日本人が北朝鮮という独裁国家の「被害者」の立場にあることを共有するナショナリズムの源になっていると説明した。
 メディアも、トランプ氏が拉致問題に触れたかどうかで大騒ぎ。多くのメディアは政権の主張をオウム返しに繰り返し、引いてはそれが「世論」となり政権の政策選択の幅を狭める。拉致問題の解決抜きに、北朝鮮と関係正常化や経済支援をすれば、今度は「世論」がブレーキをかける。拉致の「魔力」に縛られ、身動きできないのだ。(写真 「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」HPから)
一切取り合うなと平壌
 さてそんな安倍政権を北朝鮮はどうみているのか。
 「隣にいた旧知のグテーレス国連事務総長と昔話に花を咲かせていた。遠くを見ると、安倍がひとり所在なげに座っていた。文在寅・韓国大統領に促されて席を立とうとすると、日本の通訳が駆け寄ってきた。続いて安倍が近寄り立ち話になった。彼は『平壌宣言と(拉致被害者の再調査を約束した)日朝ストックホルム合意に立ち戻りましょう』と言うので、私は日本の植民地支配に対する謝罪と賠償が先だと答えた」。
 これは2月9日夜、韓国ピョンチャン冬季五輪の開幕式前のレセプションに出席した金永南・最高人民会議常任委員長の発言である。「秘話」を紹介してくれたのは北朝鮮情勢に詳しい在京消息筋。消息筋は続けてこう打ち明けた。「トランプが米朝首脳会談を発表した3月初め以降、安倍政権はいろいろなチャンネルで日朝首脳会談の可能性を打診してきた。しかし平壌の答えは『一切とりあうな』でした」。
  その後しばらくすると、南北首脳会談(4月27日)で文大統領が拉致問題を取り上げ、金正恩・労働党委員長が「いつでも日朝会談に応じる」と答えたという報道があった。しかし、それが日本で報じられると、平壌からは再び「日朝対話は『一億年後も無理』」「拉致問題は解決済み」などと、「安倍政権相手にせず」が繰り返されてきた。
帝国の負債は清算を
 米朝間で核問題や体制保証の話し合いが進めば、必ずテーブルに乗る議題が日朝関係正常化と「賠償」を含む対北朝鮮への経済協力。「安倍政権に状況打開を期待するのは無理」という声は強いがどうだろうか。南北、米朝首脳会談で、半島非核化が議題に上れば必ず、日朝国交正常化圧力が加わる。正常化するには200-500億ドルといわれる補償(経済支援)を覚悟しなければならない。
 日本は、北朝鮮との間で植民地支配という「帝国の負債」の清算が済んでいない。今からでも遅くない、北朝鮮と関係正常化を進め負債の清算と同時に、東アジアの平和構築に積極関与しなければならない。平和構築という主要目標のために関係正常化と経済支援を優先すること。パワーシフトの進行で問われるのは、「日米同盟の強化」以外のさまざまな外交選択肢である。ここは前提条件抜きで、首脳対話に踏み切る必要がある
(了)  
 
上へ