中国的なるものを考える(電子版第77回・通算第119回)[注]
福本 勝清
(明治大学教授)

プロフィール>>
電子礫・蒼蒼
第80号 2018.03.08.
[注]蒼蒼社版『蒼蒼』からの連載です。第43回までのものは蒼蒼社のホームページで読めます。 蒼蒼 目次へ >>

1930年代左翼のアジア的生産様式論  その一
 所属大学の紀要に『野呂栄太郎とアジア的生産様式』(『明治大学教養論集』2018年1月)を発表した。野呂『日本資本主義発達史』(1930)における「国家=最高地主」説と当時のアジア的生産様式論争との強い繋がりを明らかにしたものである。議論は当然、野呂『発達史』についてばかりでなく、その論敵である猪俣津南雄、さらに野呂を支持した講座派の論客たち、服部之総、山田盛太郎、平野義太郎、羽仁五郎などにも及ぶことになった。おかげでというか、久しぶりに自分の研究対象が、1920年代後半から30年代の世界に戻ることになった。1980年代前半の留学時期以来―直接の研究対象は日本ではなく中国であったが―ずっと慣れ親しんでいたこの世界から、もう離れたくないというのが今の気持ちである。
 
1)戦前左翼文献のデジタル化について
 上記のタイトル「1930年代左翼の……」は余計である。アジア的生産様式を論じている者は、みな左翼だからである。実際には「戦前におけるアジア的生産様式論」でよかったのだが、その話題を中心に、1930年代について、あれこれ気になるところを書こうと思い、上記のようなタイトルにしている。
 最近、いよいよ小さな文字が読めなくなり、やむをえず電子書籍(Kindle)を読むことが多くなっている。フォントを拡大するだけで、読めないものがすぐに読めるようになる。現在のところデジタル化されている書籍は、新書や文庫が多いこともあり、一日、二日で、一冊読むことができる。これは、紙の書籍を読むペースと同じである。日頃、読んでいるのは、主に、日本史・世界史を含めた歴史関係だが、自分の研究の合間の、ちょうどよい息抜きになっている。
 できれば、もう少し、自分の領域に近いものがデジタル化されればと思うのだが、なかなかそうもいかないらしい。もちろん、電子書籍に日本資本主義論争やアジア的生産様式論争に関連した書籍が多数ラインアップされることまで期待しているわけではない。ただ、野呂栄太郎『日本資本主義発達史』、山田盛太郎『日本資本主義分析』、羽仁五郎『明治維新史研究』、猪俣津南雄『窮乏の農村』、荒畑寒村『寒村自伝』といった著作は文庫(岩波文庫)になっており、それらがデジタル化されれば、日々通読できるのに、と思う。1980年代には電算写植の時代に入っていたはずであり、そのデータを活用すれば、デジタル化できるのではと思うが、素人考えなのかもしれない。もし、可能であってもそうしないとしたら、多分、デジタル化すれば、在庫がいっそうはけなくなるからなのだろう。
 また、最近読むことの多い、戦後マルクス主義歴史学あるいはその影響を受けた人々の著作には、比較的よく知られ、かつ文庫化されたものも多いのだが、たとえば、石母田正『中世的世界の形成』、同『日本の古代国家』(ともに岩波文庫)などもデジタル化されていない。比較的電子化が進んでいると思われるのは網野善彦で、『無縁・公界・楽』(平凡社)、『蒙古襲来』(小学館)、『異形の王権』(平凡社)などが電子書籍化されている。だが、『蒙古襲来』、『異形の王権』のKindle版はまだ出ていない。デジタル化が進まないのは、出版社の取り組み具合の遅れ、あるいは各文庫の在庫の具合などが関係しているのであろうが、できるだけ早期のデジタル化を期待したい。
 左翼文献という枠にこだわらず、戦前の文献は、当然にもほとんどの書籍が著者死後50年を経ており、著作権が切れていると考えられる。それゆえ、青空文庫のような企画も成立するのであろう。ただ、ボランティアにより入力し、校正することを考えると、左翼文献がその対象となるとはあまり考えられない。せいぜい、初期社会主義者止まりではないかと思われる。因みにネットであれこれ検索すると、幸徳秋水、大杉栄、堺利彦、河上肇などの著作が青空文庫に含まれている。大杉栄『自叙伝』『日本脱出記』、河上肇『貧乏物語』などは各出版社の文庫に含まれており、出版社から見れば、青空文庫のような存在は、うとましく、頭の痛い問題であろう。1930年代左翼の周辺では、戸坂潤、三木清らの作品が青空文庫にある。やはり、たとえ著作権が切れても、左翼以外にもよく知られた存在でなければ(たとえば小林多喜二のように)、青空文庫に入ることも難しいのかもしれない。
 他にタブレットで読めるものはないかと、アマゾンや楽天など書籍サイトを検索したところ、響林社文庫というものがあり、復刻版と称して重光葵『巣鴨日記』、『昭和の動乱』上下、『外交回想録』、幣原喜重郎『外交五十年』、清沢冽『暗黒日記』、高見順『敗戦日記』、『蘭印の印象』など著作権切れの書物を複写したものが出ている。戦前という時代の雰囲気、日中間の外交交渉などを知るために少しずつ読んでいる。このシリーズはいずれも固定レイアウトなので、大型(10インチ以上)のタブレットでなければ読みにくい。語彙検索もできず、メモ機能もない。それゆえ廉価に設定されている。他方、これらの書籍の中には、それぞれ元の出版社からも電子書籍が出ているものもある。それらは、フォント(レイアウト)変更可能で、かつ語句検索ができ、メモ機能がついていると思われる。値段は一般の文庫・新書よりやや安いという程度であろうか。響林社のこのシリーズには、クリスティ『奉天三十年』(上・下)、 矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』、『満州問題』、芥川龍之介、夏目漱石などの紀行文を集めた『文士達が見た戦前の中国』(1-3)なども含まれている。『奉天三十年』は、岩波新書赤版として再版された時、入手して読んでいる。宣教師(プロテスタント)が書くものは意外と面白いと思ったが、まさか、当時、革命史や党史をやっている者が、将来プロテスタント伝道史を齧ることになるとは考えもしなかった。
 書籍のデジタル化が様々方面に影響を与えており、古書店の売り上げにも影響していると聞くと、心穏やかではない。だが、筆者にとって、デジタル化したものを中心として読まざるを得ないので、可能な限りのデジタル化を期待せざるを得ず、居心地の悪さ、ジレンマを感じている。筆者が一番危惧しているのは、戦前の左翼文献が、読み手もなく、売買もされず朽ちていくことである。すでに国会図書館がやっているような戦前文献のデジタル化は、文献を将来に残す確かな試みであることには間違いない。だが、ただそれで終われば、デジタル化され保存されてしまったということで終わってしまうだろう。
 筆者に出来ることは、それらの文献の面白さを何とか見つけ出すことだと思っており、今後何回かのエッセーも、それに向けた試みの一つと考えている。
 読書の中心はデジタル化されたものになるといっても、気になる古書はやはり購入している。なかには、後、数十年もすれば、朽ちてしまうのではないかといった状態のものもなくはない。アマゾンで、ブハーリン&プレオブラジェンスキー『共産主義のABC』の新刊をみかけたので、今頃何故と思い、購入してみた。『共産主義のABC1 復刻版』桜耶書院2016年3月刊行、とあった。戦前出版されたものを、歴史的仮名遣いはそのままにして、漢字は常用漢字に直してある。桜耶書院は現在桜町書院となっており、住所は、和歌山県伊都郡かつらぎ町である。ここから、アレクサンドル・メドヴェージェフ『史的唯物論』が復刻されている。こちらはKindle版のみらしい。さっそく購入することにした。メドヴェージェフは、ソ連反体制派知識人としてよく知られたジョレス&ロイ兄弟の父親であり、戦前に翻訳出版されたものを下斗米伸夫教授(法政大学)が所蔵していたものであると記されている。出版状況がいよいよ厳しくなっている折、様々な試みがなされ、可能な限り多くのものが、世に残っていってほしいと切に願っている。
 
 幸せなことに、国会図書館デジタルコレクション(以下デジタルコレクション)が少しずつ充実してきている。だが、せっかくデジタル化されたとしても閲覧が館内限定である場合、パソコンやタブレットで読むことはできない。インターネット上で公開されている場合、パソコン上で読むことができるほか、pdfファイルとして保存することも可能である。筆者は6インチのKindleのほか、幾つかタブレットを併用している。pdfファイルは10インチのアンドロイド(2台、内1台はアマゾンFire)で読んでいる。それでも文字が小さくて読めない時には、12.3インチのサーフィス・プロを使っている。今のところ、それで何とかなっているが、いずれ13.3インチのデジタルペーパー(ソニー)を購入する予定である。ソニーのデジタルペーパーは、pdfファイルに思いつきなどを書き込めることが魅力である。多分、13.3インチあれば、今後も読書をつづけられそうである。
 あくまでも筆者の関心の範囲内に限ってであるが、どのような著作がデジタルコレクションにおいて公開されているか挙げてみよう。まず、野呂栄太郎『日本資本主義発達史』の鉄塔書院版(1930)および岩波書店版(1935)が揃っている。とくに鉄塔書院版がオープンになっているのが嬉しい。野呂の論敵である猪俣津南雄のものは『現代日本研究』(改造社 1929)があり、種々の観点から野呂『発達史』と読み比べている。猪俣の著作は『窮乏の農村』(1935)、『農村問題入門』(1937)以外の主要著作が揃っていそうである。
 他のマルクス主義者の歴史に関する著作としては、佐野学『日本経済史概論』(早稲田泰文社 1922)、服部之総『明治維新史』(白揚社 1933)、『維新史の方法』(白揚社 1934)、早川二郎『日本歴史読本』(白揚社 1934)、『古代社会史』(三笠書房 1936)、佐久達雄『東洋古代社会史』(白揚社 1934)佐野袈裟美『支那歴史読本』(白揚社 1937)、秋沢修二『支那社会構成』(白揚社 1939)などがあり。現在少しずつタブレットを使って読んでいるところである。同じ傾向のものとしては、佐久達雄『日本古代社会史』(白揚社 1933)、相川春喜『歴史科学の方法論』(白揚社 1935)、森谷克己『支那社会経済史』(章華社 1934)『アジア的生産様式』(育生社 1937)、渡部義通『日本古代社会』(三笠書房 1936)、渡部義通等編『日本歴史教程』Ⅰ、Ⅱ(白揚社 1936.1937)、赤松啓介『東洋古代史講話』(白揚社 1936)、『東洋古代民族史』(白揚社 1939)などがまだ未公開である。赤松の著作が公開されていないのは、没後まだ20年も経っていないからだと想像がつく。だが、秋沢修二や佐久達雄(黒田善次)も、1990年代まで生きており、秋沢の著作はほぼ公開されているが、佐久は公開と未公開に分かれている。どのような基準、あるいはどのような判断で公開・未公開が決まるのか、上記からは窺うことはできない。
 残念ながら講座派の旗手である山田盛太郎、平野義太郎、羽仁五郎といった主要な論客の著作のほとんどがオープン化されていない。いずれも没後50年を経ていないからであろう。山田『日本資本主義分析』(岩波書店 1934)、平野『日本資本主義社会の機構』(岩波書店 1934)など、彼らの著作の影響が大きかっただけに残念としか言いようがない。また、中国関係としては、鈴江言一は『中国無産階級闘争史』(1929)、『孫文伝』(改造社 1931)が公開されているが、『支那革命の階級対立』(1930)はまだ公開されていない。これら三冊ともに戦後復刻がなされているが、なぜか公開に違いが出ている。
 もう一つの問題として、戦前の著作であっても『日本資本主義発達史講座』(岩波書店 1932-33)のように、戦後復刻出版(同上 1982)されたものは、その関連著作が公開されていない場合が多いように思われる。鈴江言一『支那革命の階級対立』(太鳳閣 1930)は平凡社東洋文庫より『中国革命の階級対立』(1975)として再刊されており、それがネックとなっているのであろうか。ただ、野呂栄太郎『日本資本主義発達史』のように戦後何度も出版されてもオープン化されている例もあり、また早川二郎については『早川二郎著作集』が1980年代中葉に未来社から刊行されているが、1930年代出版の早川の著作はほぼデジタルコレクションにおいて公開されている。初版や復刻の出版元が大手出版社であるとか、すでに解散している、あるいは遺族の意向などといったことが影響するのであろうか。
 ほかに、上述の初期社会主義者、あるいはマルクス主義をとりまく思想家たちとして、幸徳秋水、大杉栄、堺利彦(注)、高畠素之、賀川豊彦などの著作のほか、福田徳三『唯物史観経済史出立点の再吟味』(改造社 1928)、河上肇『社会主義評論』(1906)『社会問題管見』(1918)、『第二貧乏物語』(改造社 1930)、高畠素之『資本論』全訳(改造社 1928)、さらに山川均、福本和夫、櫛田民蔵『櫛田民蔵全集』第一巻~第三巻(改造社 1947)、向坂逸郎などの著作がタブレットで読むことができる。1930年以前の人々については、ほとんど詳しくないのだが、さすがにそれらの人々の主要著作は、ほぼオープン化されているのではないかと思う。
 日本史関連としては、原勝郎『日本中世史』(1906)、瀧川政次郎『日本奴隷経済史』(1930)『支那法制史研究』(1940)『律令時代の農民生活』(1944)、牧健二『日本封建制度成立史』(1935)、細川亀市、小野武夫、竹内理三『日本上代寺院経済史の研究』(1934)、清水三男『日本中世の村落』(1942)『上代の土地関係』(1943) 『中世荘園の基礎構造』(1949)、等々が公開されている。また、中国史関連では加藤繁『支那経済史概説』(1944)『絶対の忠誠』(1944)、和田清『支那官制発達史』(1942)『東亜史論藪』(1942)、矢野仁一『近世支那外交史』(1940)、仁井田陞『支那身分法史』(1942)などもオープン化された著作のリストに挙げられる。さらに、橘樸『支那社会研究』(1936)のほか、波多野乾一、長野朗、田中忠夫、尾崎秀実などの著作も、それらの中に含まれる。
 戦後の著作については、1947年、48年出版ぐらいのものも公開され始めている。但し、残念ながら、自分が読みたい石母田正『中世的世界の形成』(伊藤書店)、藤間生大『日本古代国家』(伊藤書店)『日本庄園史』(近藤書店)、渡部義通『古代社会の構造』(伊藤書店)などがまだオープンになっていない。もちろん、著者たちの没後50年を経ていないからである。
 
2)野呂栄太郎『日本資本主義発達史』のテキストについて
 筆者は、『アジア的生産様式論争史』(社会評論社 2015)において、ソ連におけるアジア的生産様式論争が中断された後もなお、日本においてアジア的生産様式論争が継続された理由について、講座派の総帥ともいうべき野呂『発達史』における国家=最高地主説の存在をあげておいた。また、野呂、平野、服部、羽仁等が日本資本主義の特殊性を示すものとして、古代よりのアジア的生産様式の影響を認めており、それらが講座派のなかでアジア的生産様式を論じるのに有利な状況を作り出していた、とも考えていた。だが、それにもかかわらず、野呂、平野等講座派主流のアジア的生産様式論をあまり評価することはなく、日本における論争の主力を早川二郎や秋沢修二に置いて『論争史』を描いた。
 最近、野呂『発達史』を読み返してみて、自分が野呂のアジア的社会論を過小評価していることに気づいた。とくにその第四編「日本における土地所有関係の特質」(第四論文とも云う)を十分に読み込んでいなかった。その反省から、上述の紀要論文を書いた。なぜ、第四論文の意義を把握できなかったのであろうか。一つの答えは、自分の青年時代に読んだ岩波文庫版『日本資本主義発達史』(1954)には第四論文が収録されていなかったから、というものである。もちろん、これは言い訳である。その後、第四論文が含まれた野呂全集版『発達史』(1965)を読んでいる。その時もまだ気が付かなかったのだから。
 
 野呂栄太郎『日本資本主義発達史』は戦前・戦後に何回か出版されている。最初に出版されたのは、1930年であり、鉄塔書院からであった。目次は次のようになっている。
 
 日本資本主義発達史 目次
 第一編 日本資本主義発達史
  一 日本資本主義前史
  二 日本資本主義発達史
 第二編 「プチ・帝国主義」論批判
 第三編 日本資本主義発達の歴史的諸条件
 第四編 日本における土地所有関係の特質
  一 猪俣津南雄氏著「現代日本ブルジョアジーの政治的地位」を評す
  二 日本における土地所有関係について―なかんずく、いわゆる「封建的絶対主義勢力の階級的物質的基礎」の問題を中心として
 第五編 日本資本主義現段階の諸矛盾
 
 次に出版されたのは、1935年で、岩波書店からである。鉄塔書院の小林勇は岩波書店の住み込み社員から出発した人物であった。岩波茂雄の女婿となるが、独立して鉄塔書院を起こす。たが経営不振に陥ったことから、1934年に岩波に復帰している。岩波版『発達史』は鉄塔書院版を底本としている。というより、印字も同じで、かつ頁数も同じであり、筆者には重版に見える。だが、強化された検閲のため鉄塔書院版に比べ、印字のない空白があり、文意が通らない箇所がある。
 戦後、野坂参三・早見八十二・羽仁五郎・守屋典郎らによって野呂栄太郎著作集の刊行が企画され、『野呂栄太郎全集第一巻』(1947)が岩波書店から出版された。この第一巻には、第一編、第三編、第五編の論文が収録されていた。だが、第二巻以後は出版されなかった。代って、三一書房から『野呂栄太郎著作集』(全三集)が発行され。その第一集は『日本資本主義発達史』(1949)と銘打たれていたが、収録された四つの論文には、第一編・第三編のみが含まれ、第二編・第五編は第二集『「プチ・帝国主義」論批判』(1949)に、第四編(第四論文)は第三集『農業・戦略戦術問題』(1949)に収録されている。
  三一書房版著作集第一集『日本資本主義発達史』には、奥付の前に、「本書に収録された論文の大半は岩波書店から既に発刊されている同名の書にくみいれられています。同書店及び関係者の諒解をえて、弊社発行の他の野呂栄太郎氏の著作と同型で発行することになりました。読者が重複購入されることをおそれて特に御注意申上げる次第であります。」との編集部の言葉が付されている。
 なぜ、岩波書店から出ずに三一書房から出たのかについて、友人である岸田五郎氏が調べてくれた。当時、まだ日本はGHQの統制下にあった。GHQは、岩波のような日本を代表する出版社から、共産党の領袖であった野呂の全集が出るのは望ましくないとして、なかなか第二巻以降の出版許可を出そうとしなかった。ただ、GHQも左翼出版社から出ることには大目に見ていたらしい(吉野源三郎「岩波文化の再出発・GHQの検閲など」安藤良雄編『昭和経済史への証言 下巻』毎日新聞社 1966)。
 筆者がもっている岩波版『日本資本主義発達史』は1952年8月発行のものであり、戦前版と同じく、第一編から第五編までの論文が揃ったものである。奥付には初版1935年発行とあり、また1949年第七冊改版発行とある。だが、35年版と異なり、初版(1930)に合わせて空白は埋められている。
 1954年6月、岩波文庫から『日本資本主義発達史』が宇佐美誠次郎解説を附して発行された。収録されたのは、第一編・第三編・第五編であり、1947年岩波版全集第一巻を引き継いだものといえる。宇佐美は解説のなかで、鉄塔書院版には上記三編のほかに「『プチ・帝国主義』論批判」、「日本における土地所有関係の特質」も含まれていたことを、さりげなく述べている。解説の冒頭で、戦前の版から何が欠けているかを記載しているので、とくに問題がない、ということだと思われる。ただ、それがどのような意味を持つのか、特にそれほど長いわけでもない第四論文を省いた意味については、普通の読者には、理解するすべもなかったであろう。
 鉄塔書院版の『日本資本主義発達史』は、野呂栄太郎没後30年記念のため作られた、野呂栄太郎全集刊行編集委員会の手により、『野呂栄太郎全集 上』として、1965年2月、新日本出版社から発行された。言うまでもないが、五本の論文が揃ったものである。その他の野呂の論文が収められた『全集 下』は、同じく新日本出版社より1967年に出版されている。
 野呂栄太郎没後50年を記念し、ようやくと言うべきか、ついにと言うべきか、鉄塔書院版を底本とする岩波文庫『初版 日本資本主義発達史(上・下)』が発行されたのは1983年のことである。解説は大石嘉一郎である。腰巻にもはっきりと、没後五十年を記念して初版の形で刊行とあり、1954年版岩波文庫が初版の形(鉄塔書院版)ではなかったことをほのめかしている。
 2015年3月、インプレスR&Dから、『日本資本主義発達史』Kindle版が出版される。1935年岩波版である。デジタル化されたとはいえ、固定レイアウトであり、フォントの変更はできないので、読むには、6インチのKindleでは厳しく、10インチ以上のタブレットが必要である。R&Dインプレスは、IT関係の書籍を発行しているところだが、国立国会図書館(NDL)デジタルコレクションのなかで一般公開化されたものの中から選んだものを、「NDL所蔵古書POD」シリーズとしてアマゾンなどを経由して販売している。残念なことに、野呂『発達史』のテキストとして選ぶべきは岩波書店版(1935)ではなく、1983年岩波文庫版も採用した鉄塔書院版(1930)であった。
 次回は、野呂のアジア的社会論に迫ってみるつもりである。
 
 注) 黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社 2013)はとても面白い本であった。大逆事件以後の冬の時代を生き抜いた堺利彦の生き方に感動した。最近はこのような時、「勇気をもらった」というらしいが、まさにそんな気持ちにさせられた。