| 北京オリンピックのマスコット ラッキー・チルドレン(福娃) |
ああ、なんの用があってきたのかわからないと、嘆じながら、数日を北京ですごした。カゼをひいたのである。数日の荒廃を嘆じていたのだった(じつはカゼをひいたおかげでいろいろ経験し、荒廃ではなかったのだが、これについては、いずれ機会をみてのべたい)。
いよいよ、あと2日で北京をはなれるという段になって、なにげなく部屋のTVをつけると、北京オリンピックまであと何日、という番組で、壇上と壇下のひとが、大声で声をそろえて逆算していた。
5,4,3,2,1,0、と数えるにつれ、秒の位のアナログの数字が少なくなり、ついで、1000という大きな文字が出現した。
なるほど、もう1000日しかないのか。
思うまもなく、壇上にぬいぐるみの人形があらわれ、やたらいそがしく歩きまわる。
「福娃」とか、「五娃」とか、いっている。
マスコットがきまったのだった。
まえの晩だったか、審査中とかで、一つより多いほうがいいというが、多いと力(ちから)が分散すると、たぶん審査委員長なのだろう、男性があらわれて、いっていた。
「娃」(ワ)は娃娃といって、赤ちゃんの意味である。子供むき食品の名称で、「娃哈哈」(ワ・ハーハ)というのがある。「哈哈」は笑う、笑い声。しかし耳できくと、蛙(ワ)ときこえ、はじめのうち、なぜ〈カエル〉がでてくるのか、いぶかったのだった。
マスコットは5つ(5人というべきか)。
◇ ◇ ◇
◇五輪のマスコット
翌日、さっそく色刷りの新聞が配達され、北京オリンピックのマスコットの詳細がわかった。
ペイペイ(貝貝)
チンチン(晶晶)
ホワンホワン(歓歓)
インイン(迎迎)
ニイニイ(妮妮)
うえから順に、
幼魚(なんの魚かははっきりいわない)
パンダ
火焔
カモシカ(チベット・カモシカ)
ツバメ
を擬人(ぎじん)化したのだという。まあ、これだけ大きな国だから、シンボルのマスコットも5つは必要かもしれず、5つぐらいは消化できるだろう。しかし記念品をあつめようとすると、一つですむところを五つ購入しなければならない。ものいりな話だなあ、ともおもった。
マスコットの愛称をつなぎあわせると、
北 京 歓 迎 你
ようこそ北京へ!ということになる。漢字だけであらわすより、こうした画がつけばわかりやすく、おぼえやすい。
図案の線は太めで、中国的である。日本のテレビのマスコットも、ここのところ一般的に太めである。中国色を脱却しようとし(しかし、反面、中国的なところはかなり残し)ているように感じられた。苦心と工夫があったのだろう。
火焔というのは、かつては軍事博物館のような革命的な建物の中央の塔屋のてっぺんに、よくとりつけられていた。これを中央にもってきたあたりに、かれらの内心の誇りがかくれているのだろうとおもったが、これはかんぐりで、オリンピックの聖火だと解説でいっていた。
◇ ◇ ◇
◇ヤンシャオ(仰韶)文化
マスコットは「福娃」という。ラッキー・チルドレン。
コイズミ・チルドレンとくらべてどちらが人気をあつめるか、いまのところ未知数であるが、日中両国にそれぞれチルドレンが誕生したわけである。
チルドレンのカンムリでいうと、ペイペイはヤンシャオ(仰韶文化)の彩色陶器の図案にヒントをえているという。
日本でも干物(ひもの)の魚で、背中がつながったものがあるが、ペイペイは、かれらでは「双魚」(そうぎょ、ショワン・ユイ)といって、めでたいのである。
パンダのカンムリは竹で、緑色は環境問題をあらわすという。
ホワンホワンの焔はすでにふれた。
インインは、新しく出現した羚羊(かもしか)ということで、新鮮さがある。
ニイニイの燕は凧(たこ)でよくみかける図柄(ずがら)である。
パンダは最有力候補だったが、尻をデーンとすえて動かないので、これに集中するのが避けられ、五人組の一人となったという。
TVではさっそくこのチルドレンがとんだりはねたりするアニメを放映していた。
◇ ◇ ◇
◇チルドレンと「五行」
五人のチルドレンは「五行」(ごぎょう)にも「五輪」にも合致するという。色もオリンピックの五輪の色をそれぞれが分担している。
この数年間、陰陽五行をつとめて宣伝したきたわたしとしては、ここで「五行」が登場したことはうれしい。
「五行」というのは宇宙を構成する木火土金水(もっか ど ごんすい)、五つの要素である。
「五行」にあわせたマスコットであることは、当局にとって、かなり自慢らしい。コラムのような、解説のような場所で、つぎのようにのべている。
◇ラッキー・チルドレン(福娃)の原型
ラッキー・チルドレンの原型とあたまの飾りは海洋、森林、火、大地、および天空との関係とのつながりを含蓄しており、中国の伝統芸術の表現形式を応用し、かがやかしい中華文化をあらわしている。
とおいむかしから、われわれは記号をもちいて祝福をあらわす伝統があった。*
北京オリンピックのマスコットは、それぞれが、美しい願望をあらわしている。
繁栄、歓楽、激情、健康、それとよい運勢
チルドレンは北京のあついねがいを示している。世界のすみずみまで、中国のひとびととともに集り、2008オリンピックの盛大なお祭りをたのしもうではありませんか、と。 |
| 『北京晨報』2005年11月12日号 |
| *記号をもちいて祝福をあらわす―おそらく八卦(はっけ)の乾(けん)が陽の爻(こう)を六本ならべて、すべて陽でめでたい、というようなことをいっているのだろう。 |
◇ ◇ ◇
◇人治は可能か
「好事(こうじ) 魔(ま)多し」という。2008年まで大きな事故や天災やトラブルが発生しないのを祈りたい。
北京へゆくまえ、杭州のシンポジウムに参加した。
日本を出発する直前に、《見えた!「脱共産経済」》と題する『エコノミスト』臨時増刊号11月14日号が発売になり、わたしはこれに一文を寄せていた。
〈巻頭論文〉として、上村幸治氏の〈「共産党市場経済」の限界〉とならんでいる、〈「法治国家」への遠い道のり〉と題する拙文である。
拙文で紹介した実例は、じつは執筆しながら身(み)にこたえるほどの現実だったが、現実がこの一例、二例であるはずはない。想像力をはたらかせればはたらかすほど、暗い現実が、そこにポッカリと黒い大きな口(くち)をあけているような気がしたのである。
この黒い口に呑み込まれてしまうのか、そうではないのか。
この問題にこたえるのは容易ではない。もしこたえたとすれば、こたえたことによって、自分で自分を裏切ることになりかねない、複雑で予知困難な問題である。
しかし、孟子(もうし)がいうように、ヒトには良知良能(りょうち・りょうのう)がそなわっているのだから、あまり悲観的にならないようにしよう。
◇ ◇ ◇
◇二つのチルドレン
コイズミ・チルドレンと北京五輪のラッキー・チルドレンとならべてみる。
いまの日中関係は、けっきょくは、両者に「ナショナリズム」(民族主義)が抬頭(たいとう)しつつあることの反映だろう。
日本の議論で気をつけなければならないのは、カンジン・カナメのところで、カタカナがでてくることである。「ナショナリズム」もそうだ。自分の文章に、そのけはいがないとはわたしもおもわないが、適当な訳語がない。
「民族主義」ではまだ足りない。「国粋(こくすい)主義」がピッタリではないかとおもう。これを「ナショナリズム」などとカタカナでいうと、自分の責任が軽くなるのだ。
愛郷心、愛家族心から発展して、「くに」の規模にまでひろがるのが、民族主義すなわち国粋主義であるが、「国威宣揚」(こくい・せんよう)をねがいながら、それ以上、智慧がまわらず、うつ手がないのが、わが国の国粋主義の現状である。
自分の「くに」を愛してわるい、ということはない。しかしそのとき、相手の「くに」も同様だというのに気がつかないのも国粋主義の特色である。
本稿はしめきりをすぎて執筆している。このつぎは、若干の議論を展開したい。
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| (11月15日しるす) |
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