挿絵は水際の旅館の一室で旅人がものおもいに、ふけっているところである。
屋根のむこうに、看板の旗がひるがえっている。「客棧」(きゃくさん)とよめる。
「客」というのは旅人、旅客。本籍地をはなれたひとは、すべて客である。
「棧」は物資を保存したり、旅人を宿泊させる建物をいう。
いま、「看板の旗」としるしたが、ひろい意味では、旗であるとしても、げんみつには「帘(れん)」という。
正字は「簾(れん)」。
「すだれ」のように、上からつるすものをいう。建物の入り口など、ドアではなく、布地をたらしたものも、「簾」である 。商店の看板にかぎって「帘」の字をつかう。
江戸時代、江戸の商店の間口いっぱいに布地をはった。日よけや砂ぼこりよけを兼ねていた。いまでも、京都ではみかける。
いわゆる「暖簾(のれん)」で、これは大陸ではみかけない。
商店のばあい「帘」という字体なのは、商人のあいだでもちいられた略字だったからかもしれない。いまでも、食堂などでは、勘定書きに、米飯を「反」としるすことがある。
漢詩をよんでいて、気になるのは、そこでうたわれている風景やモノである。
それで、絵入りの漢詩集が江戸時代、さかんに出版されたが、当時、実地にでかけることは不可能だったから、絵がピッタリしない。
雪舟が海をわたってでかけていったのも、わかる気がする。
さいきん、かの地でも詩文の本に、挿絵をいれるようになったが、現地にいながら取材していない。それで、外国の研究者にはあまり役にたたない。
ここにかかげたのは、例外である。これこそわたしが多年、さがし求めた挿絵だった。
ただ、原本が手もとにないので、画家の名前をあげることができないのが、残念である。書名もひかえておかなかった。そして、これは、なにかの詩の挿絵だったが、その詩も、いまはわからない。
ただし、これは杜牧(とぼく)の「江南の春」の詩句にふさわしいとおもう。
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水村(すいそん)山郭(さんかく)酒旗(しゅき)の風(かぜ)
――水 村 山 郭 酒 旗 風 |
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この「酒旗」というのが、ながいあいだ、わからなかった。
「旗」といえば、まず「国旗」である。しばらくまえ、帝国陸軍では「聠(連)隊旗」が神聖視されていた。「優勝旗」というのもある。
このような、格の高い「旗」を酒屋、居酒屋の看板につかうだろうか。
このごろは、あまり放映しなくなったが、以前は深夜テレビで、よく時代劇の映画をやっていた。
川が流れていて、船着場(ふなつきば)があり、渡し船を待つ茶店(ちゃみせ)がある。
そして、帘(れん)がひるがえっていた。
この深夜テレビの一場面がヒントになって、さらに探しているうち、この挿絵にゆきあたった。しかし、帘を文字で説明するのはむずかしい。
ところが、夏になって、かき氷やアイスキャンディーが売りだされると、ブルーでふちどりをした帘(れん)が出現した。これだとおもったのである。
さて、酒を売る店は、すでに戦国時代からあって、めじるしの旗を高くかかげていた。『韓非子』(かんぴし)につぎのような説話がみえる。
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| 〈宋の人で酒を売るものがいた。醸造は上出来で、売るのに分量はごまかさず、客にていねいに応対した。看板として、めじるしの旗をたかだかと、つるしていた。それでも酒が売れない。〉(『韓非子』外儲説・右上) |
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「めじるしの旗をたかだかと、かかげていた」の原文は「県幟甚高著」。
「県」は本字「縣」で〈つるす〉ことである(岩波文庫『韓非子』第三冊172ページ)は〈かくること〉とする)。
つまり、竿(さお)を高くつきだし、そこに布(ぬの)きれをつりさげていた。
おそらく、唐のころも、そうだったろう。そうすると、つぎの疑問は、布きれが正方形だったかどうか、ということになる。
たまたま、明代の木版本に居酒屋の入り口を描いた挿絵があった。それは、あまり幅がなく、細長い。細い竹の枝のさきにつるされ、竹の枝は、軒先きよりやや高いだけであるが、しかし、この挿絵はなかなかよくできていて居酒屋の入り口の風情をあらわしている。客が乗ってきた馬がつながれてもいる。
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伊永文『到古代中国去旅行』84ページ、
中華書局 2005年1月
帘の文字は「醉郷深處/蓬莱三島」か。 |
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青か白の長い帘が風にひるがえってこそ、江南の風景にふさわしく、「酒旗の風」とうたう価値があろう。
この明代の木版画を示した伊永文は、宋(北宋)代の帘についても、「清明上河図」(せいめいじょうがず)に酒屋の看板の帘があると指摘している。
北宋のみやこ、汴京(べんきょう)、いまの開封(かいほう)の繁栄を描いた絵巻(えまき)として「清明上河図」は有名で、複製もあり、わたしも所持しているが、くわしくみていない。
伊永文によると、汴京(べんきょう)の帘は――
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| 〈細長く、上から下まで垂れさがり、三帘で一組、中央が青色か白色である。中央が青だとそれをはさむ左右の帘は紅、白だと、左右は青。大きな字で「新酒」としるす。「酒海花宗」、と「醸成春夏秋冬酒/醉了東西南北人」と書いたものもある。〉 |
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わかりやすくいうと、わが源氏、平氏のたたかいで、源氏、平氏がひるがえした赤旗、白旗のようなものである。ただし、赤旗、白旗より幅はせまく、短かかったろう。
むかしのことだから、北宋のみやこで「白」といっても、なにかの色に染めていないということで、いくらか淡い茶褐色だったのではないか。
「みどり」、「くれない」、それに「白」や「青」がいりまじっていて、うごきがあった詩の風景なのである。
ここまでしるし、これはこれで終るつもりだったが、そうはいかなくなった。
この杜牧の詩の第一句、
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千里 うぐいす ないて みどり くれないに 映ず
――千 里 鶯 啼 線 映 紅 |
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の、「みどり くれないに 映ず」というのは、いったい、どういうことか、疑問におもえたのである。
訓読訳をつけるにさいし、あれこれ迷ったがきまらず、従来の訓読にしたがうことにしたのだった。拙編著『岩波 漢詩紀行辞典』14ページ。岩波書店 2006年6月刊。
「みどり くれないに 映ず」だから、「緑色が、紅の色に映(は)えている」ことになる。
漢詩につけるテニヲハを忠実にたどるとこういうことになる。
しかし、緑と紅とを比較すれば、紅のほうが刺激的で、緑が「映(は)える」ということは考えられない。
むしろ逆に、「紅」が「緑」を背景にしてひきたっている、というのが、じっさいの光景ではないだろうか。
そこで、いったん訓読をさておいて、漢字だけの原文をにらんでいるうち、「緑映紅」は、「緑」が主体で、「映」はその動作、作用ととるべきだと、おもいついた。「映」というのは映画を上映するというときの「上映」のように、イメージを積極的にうかびあがらせているのだ。
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| 千里 うぐいす ないて みどり くれないを きわだたす |
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緑が紅の背中を押して、めだたせているのである。
しかし、詩の用語として、「きわだたす」はあまりにも説明的だ。
一晩ねて、また考えがかわった。
この詩は「江南の春」をうたっているのだから、まず、眼にうつる景色をおもいうかべてみよう。
原詩の「映」は、むしろ作者の眼にうつった風景として、うけとってみよう。
「ないて」は、ちぢめて「なき」としよう。
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| 千里 うぐいす なき みどりに くれない 映(は)ゆ |
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樹々の緑色にしげる若葉を背景に、赤い桃の花が、はなやかに、あざやかに、燃える火のように、うかんでいる。
――というわけである。
じつは、この考証の文章は、『図書』(岩波書店)十月号によせた拙文のつづきである。
『図書』では、杜牧の「山行(さんこう)」の詩の詩句、
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霜葉は 二月の花より くれない なり
――霜 葉 紅 於 二 月 花 |
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について、しるしたのだった。
「二月の花」が、なんの花か、ながいあいだわからなかった。
それが、桃の花とわかり、しかも、火が燃えるような赤い色だとわかったことをしるした。
そのなかで、やはり杜牧の詩句、「千里 うぐいす ないて みどり くれないに 映ず」を引用したのだった。
岩波書店に、原稿を送ったのは、指定された締切り日より二カ月ほど早く、その間、考えるところがあったが、校正のとき、まだ最終的な結論にたっしていなかったので、従来のままとしたのだった。
心配になって、現代語訳をたしかめてみた。なんと、これはこのままでよい結果になったのだった。
〈繁(しげ)りにしげった樹々の緑のなかに、桃の花が咲く。桃の花は、燃えるようなくれないの色で、その色は緑の樹々に映(は)えている。〉(15ページ)
さて、ここまでしるしてから、ふと、これまでの注釈書をひらいてみた。すると、あれこれ迷うまでもなく、ちゃんと注釈がほどこされていたのである。
〈「酒旗」は酒屋が看板としてかかげるのぼり。酒帘(しゅれん)ともいう。『広韻〈下平二四塩〉』に「青帘(せいれん)は酒家の望子(ぼうし[かんばん])なり」とあり、青い布で作ったものらしい。南宋・洪邁(こうまい)の『容斎随筆(ようさいずいひつ)〈続一六〉』の「酒肆(しゅし)の旗望」の条には「青白の布(ぬの)数幅をもってこれをつくる」とある。
後出、陸亀蒙の「江南」詩に「酒旗の青紵(せいちょ) 一行(いちぎょう)の書(しょ)」とあるのなどをみると、銘柄(めいがら)などが書きしるしてあったのであろう。
そのほか、白居易(はくきょい)の「紅板の江橋、青き酒旗」(「楊柳枝」詞)、鄭谷(ていこく)の「青帘 酒家をみとむ」(「洛南の村舎に旅寓(りょぐう)す」詩)など、唐詩に酒旗を詠ずる詩ははなはだおおい。〉
これは村上哲見『三体詩』上〈中国古典選〉15ページ 朝日新聞社 昭和41年(1968)からの引用である。
これで、ながねんのわたしの疑問は解決したわけで、おもえばずいぶんとおまわりをしてきた。読者にも気をもたせたことになる。
しかしながら、文学にしたしむというのは、こういうことなのだろう。
わたしの友人に謝(しゃ)さんという方がいて、だいぶ以前、日本で研究生活をおくっていた。
あるとき京都の町をあるいてきて、わたしとある喫茶店で、おちあった。顔をあわせたときの第一声が、「丸善からあるいてきたが、坂がなかった」だった。
わたしは、けげんにおもったが、おもいついたのは、京都では移動するとき、「上(あが)る」「下(さが)る」ということだった。
町の表示も「上ル」「下ル」である。
謝さんは日本の近代文学の研究者なので、梶井基次郎の「檸檬(レモン)」をよみ、わざわざ、小説の舞台をたしかめるため河原町(かわらまち)四条(しじょう)の「丸善」にでかけたのだった。
そして基次郎がレモンを買ったくだもの屋の2階の喫茶店で、わたしたちはおちあったのだった。
「レモン」のなかに「上ル」が使われているかどうか、わたしは小説をよみなおしていないが、果物屋でレモンを買った基次郎は「丸善」へ下っていった、としるしているのだろう。作品をていねいによむ謝さんをうれしくおもったのだった。じっさい京都は京都独特の表現があるのである。
その「丸善」も、いまは閉店してしまった。それはともかく、文学というのは単純明快なようで、しかし読者を五里霧中のなかにひっぱってゆくことがある。
村上哲見『三体詩』で言及されている陸亀蒙(りく・きもう)の「江南」という詩を同書の訓読(くんどく)でかかげよう。
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村辺(そんぺん)の紫豆(しとう) 花垂(た)るる次(ころ)
岸上(がんじょう)の紅梨(こうり) 葉戦(そよ)ぐ初(はじめ)
怪(あや)しむこと莫(な)かれ 煙中に重(かさ)ねて首(こうべ)を回(めぐ)らすを
酒旗(しゅき)の青綜(せいちょ) 一行(いちぎょう)の書(しょ) |
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「酒旗」の青綜 一行の書」とこの詩にあるのは、酒屋が青いのぼりをかかげ、そののぼりに酒の銘柄などをしるしたものをいうのだと、解説されている。
陸亀蒙の「酒旗」という題の詩にも
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風は敲(たた)く 翠竹(すいちく)の杠(さお)
雨は淡(あわ)くす 香醪(こうろう)の字 |
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とうたわれていると、指摘がある。
明刊本のさしえのとおりだ。酒帘は竹をきってきて、これにむずびつけ、たらしていたのだ。そして、酒帘には字が書かれていた(じつは、明刊本のさしえをみたとき、雨にうたれたら文字が消えるのではないかと心配したのだった)。
本稿では詩人が四人登場した。
杜牧――晩唐の詩人。あざ名は牧之(ぼくし)、号は燓川(はんせん)享楽的なところもあったが正義感がつよかった。
陸亀蒙――晩唐の詩人。科挙に落第、郷里に隠棲して風雅な文人として知られた。
白居易――中唐の詩人。あざ名は楽天、号は香山居士。杭州や蘇州の地方長官をつとめた。作品は平易なことばで、「長恨歌(ちょうごんか)」はとくに有名。
鄭谷――晩唐の詩人。あざ名は守愚。科挙(進士(しんし))合格。士大夫ののどかな気分をうたった。
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