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| 文化祭のパンフレットの表紙 |
明治大学博物館で講演をし、かつ(あろうことか)お茶のお点前を披露(ひろう)したのだった。4月30日(木曜)のことで、上にかかげたのは、このもよおしを含む文化祭のパンフ表紙である。
明治大学と学習院大学にそれぞれ博物館と史料館があり、これが連合して「福建」というテーマをかかげ展示と連続講演をおこなった。その一環として講演とパフォーマンスの一日(いちにち)が設定され、わたしが依頼されたというわけだった。
シンポジュウムをはじめ、両大学それぞれで連続講演が開講され、プログラムは充実したものだった。あまりに充実しているので、イキヌキにこの日はパフォーマンスを入れた催しがはさまれたのだろう(と推察した)。表題もかなりゆるやかで、講演者がなにをしゃべってもいいように配慮されていた。
日本の茶というと、お煎茶がふつうであるが、もう一つ、お抹茶がある。お抹茶は中国では唐の中ごろからはじまり、宋になると、これが主流になった。そして明には絶(た)えた。
そういうことをまえおきして、唐の盧仝(ろ・どう。仝は同の異体字)という茶人の詩を紹介し(約40分)、ついで略盆(りゃくぼん)点前(てまえ)をご披露したのだった。
◇略盆点前(りゃくぼんてまえ)
直径40センチほどの丸盆に茶碗(茶碗には茶筅(ちゃせん)、茶巾(ちゃきん)、茶杓(ちゃしゃく)を組み合わせ、茶器(ちゃき―抹茶のいれもの)、帛紗(ふくさ)をおいて、主(あるじ)は、両手にささげてもちながら、次室から正面に出現して、茶を点てる席につく。
つまり、わたしはそうしたのである。
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| 「略盆点前」 盆の図解 |
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| 「略盆点前」 机上の写真 |
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| 「略盆点前」 机上のおきぐあいの図 |
それからは、お点前をはじめるとわたしは夢我(無我)夢中で、気がつくと、客人にお菓子をいただくよう、すすめるのを忘れていた。それからのこまかな動作は、ここに省略するが、自然の流れとして、聴衆にまじっておられた――
明治大学博物館長・杉原重夫(すぎはら しげお)、文学部長・林義勝の両先生、そして、カルビー株式会社CEO・中田康雄、元朝日新聞「知恵蔵」編集長・堀内正範の両氏にも相伴していただいたが、これは講演をはじめるまえには予想していず、ありがたい天の配剤(はいざい)だった。
しかし、諸先生・諸氏にはごめいわくだったかもしれない。ここにあらためて当日の失礼をお詫びしたい。
◇盧仝の詩と――
講演の主題は盧仝の詩で、かれの詩が茶の味をたたえた名詩として古来伝えられる。そのサワリの部分を引用すると――
| (20句 略) |
| 一椀 |
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喉(のど) 吻(くちびる) 潤(うるお)う |
| 両椀 |
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孤 悶(ひとりいるもだえ)を 破(やぶ)る |
| 三椀 |
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枯腸(何もなきはらわた)を捜(さが)せば ただ 文字(もんじ) 五千巻 あり |
| 四椀 |
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軽(かろ)き汗を発す 平生(へいぜい)不平なること 尽(ことごとく)毛孔(もうこう)に向かって散(さん)ず |
| 五椀 |
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肌(はだ)と骨 清し |
| 六椀 |
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仙霊(せんれい)に通(つう)ず |
| 七椀 |
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喫不得也(のむことはできぬ) 唯(ただ) 覚(おぼ)ゆ 両腋(わき)に 習習(そよそよ)として清き風の生ずるを 蓬莱山(ほうらいざん) 何処(いずこ)に在(あ)りや 玉川子(われ)此(この)清風に 乗りて帰り去(さ)らんとす |
| (6句 略) |
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七椀はムリだろうと思うが、それにしても六椀も飲むのはなかなかである。三椀の枯腸は読んだ本は忘れたが字は知っているという謙遜と自負のたとえ。おわりにみえる「玉川子」は盧仝の号である。
この詩は聴衆にはかなり訴えたようである。かつて出版した『中国喫茶詩話』に訳したものである(淡交社 昭和57年1月、絶版)。
◇明治大学との関係
北京大学カルビー日本研究基金会の事務局長として多年尽力された林振江先生が、このたび明治大学特任教授に任じられ、明治大学博物館の企画を知って、主宰の諸先生に若干のアイデアを提案されたもののようである(くわしくは知らない)。
同大学の常勤理事・法学部長・土屋恵一郎先生がわざわざ京都まで来訪、礼を尽されてのご依頼でよんどころなく、わたしはお引受したが、もとよりその任でないことは承知していた。平良(たいら)仁志・文学部事務長、外山(とやま)徹・博物館学芸員のみなさまにもおせわになった。諸先生の尊名を記して感謝の意を表したい。
お菓子は京華堂利保、お茶は宇治丸久小山園・すなわち武者小路千家家元 不徹斎 千宗守家元好み。「翠松の昔」。
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