縄文巨大石棒の謎(第4回)

中村 公省
(東京都町田市在住)

プロフィール>>
電子礫・蒼蒼
第83号 2018.04.29
蒼蒼 目次へ >>

室内石棒+埋甕の祈り(下)

〔5〕ノッペラボー、幽霊土偶の大量出土

 室内無頭石棒出土の忠生遺跡119号竪穴住居からは、さらに図に見るような土偶も出土しています。(図8) 報告書には、以下のようにあります。
 「119・120号住居 腹~足 高さ5.2㎝、重量14.5g、背面人体文、腹部凸、臀部凸、中央部縦分割、2足型 黄褐色 埋甕時期=中期後葉3」
 顔がありません。顔は破損し、失われたのでしょう。しかし、作製時から顔がなかった可能性も見ておきましょう。ノッペラボーというお化けがいますが、顔のない土偶の第一印象は、オバQです。
 体には首筋から下に脚にまで文様が描かれています。腹は膨らんでいますから妊娠しています(右端図)。尻は出て少し前かがみです。乳房は造形されていないようです。
 中央部縦分割の線とはいわゆる正中線で、図ではよくわかりませんが恐らく右から2つ目の図の左上部に見える縦の線でしょう。
 2足型で立ちます。しかし、「図9 忠生遺跡出土の背面人体文土偶」に見るように、はじめから脚がなくて立たないものもあります。顔がないのと同様に、脚が無い人体造形は、奇妙です。空中を浮遊する幽霊かもしれませんね。
 忠生遺跡全体からは、こうした土偶が、なんと合計104個体(破片数124点)も出土しているのです。そのうち住居址出土が75体(同91点)、土坑2個体(同2点)、ピット内1個体(同1点)、遺構外26個体(同30点)という内訳です。
 この土偶のモデルと目されている、曽利文化の本拠である信州諏訪湖近辺の坂上遺跡出土土偶(重要文化財)は、乳房から背中・尻にかけての人体に精妙な幾何学文様が施されているところから、「背面人体文土偶」と呼ばれています(安孫子昭二の命名)。忠生遺跡出土の「背面人体文土偶」の方は、縄文芸術的観点からすると、稚拙・拙劣なつくりで、およそ「国宝」や「重要文化財」とかとは縁遠いものですが、しかしこの「背面人体文土偶」は忠生遺跡の縄文中期後葉3式期の住人のタマシイを揺り動かしたのです。

図8 119号住居址から出土した土偶
119号住居址からはこれだけだが、忠生遺跡A1地点全体からは、こうした土偶(背面人体文土偶)が、104個体(破片数124点)も出土している
(出所)『忠生遺跡 A地区(Ⅱ)忠生遺跡調査会 2010.3』


図9 忠生遺跡出土の背面人体文土偶
(出所)『忠生遺跡 A地区(Ⅱ)』忠生遺跡調査会 2010.3


 
◇ ◇ ◇ ◇
 


〔6〕石棒祭祀、埋甕祭祀と土偶祭祀との相互関連

 背面人体文土偶は、一体全体、何者なのか? 
 土偶と大型石棒、室内石棒+埋甕祭祀とは、どのように関連しているのか?

 この謎に迫るには、土偶とは何かという、この世で誰ひとり解いていない大問題に挑む必要があり、小手先の思い付きでは歯が立ちません。本格的な考証は、改めて挑むことにして、今回は石棒と埋甕と土偶との三者の祭祀具の関連について、大まかな見当をつけておくにとどめましょう。
 先に表1で忠生遺跡A地区縄文中期後葉の住居数と埋甕の関係を見ましたが、さらに忠生遺跡A地区縄文中期後葉の1式期、2式期、3式期における住居内出土の石棒・土偶・埋甕数の変化を見てみます。表2を「見える化」するために、グラフも描いておきます。


表2 忠生遺跡A地区縄文中期後葉における住居内石棒・土偶・埋甕数の変化
後葉1 後葉2 後葉3 細分不明 合計
石棒 1 1 2 0 4
土偶 3 8 28 4 43
埋甕数 0 18 37 5 120
住居数 5 51 33 12 101
注:①細分不明には、後葉1~2式期、後葉2~3式期、後葉1~3式期の他に「中葉3式期及び後葉1~2式期」を含む。②忠生遺跡A地区環状遺跡のほぼ半分が工場建設のために破壊されていたため全体は不明だが、この2倍の住居が存在したと推測されている。
(出所)『忠生遺跡 A地区(Ⅰ)忠生遺跡調査会 2007.3』より作成



グラフ1 忠生遺跡A地区縄文中期後葉における
住居内石棒・土偶・埋甕数の変化



 上の表とグラフを睨んでみてください。後葉1式期、後葉2式期、後葉3式期における住居数は5→51→33と変化していて2式期にピークがあります。
 1式期5件から2式期51軒に10倍増したのは、居住環境が非常に良好で、物資が豊か、家内安全、産めよ増やせよ、仲間が増えるという状態が続きついに10倍増になったと見られるでしょう。しかし3式期には2式期51件から18軒を減じ33軒に急減少します。人口減少に見舞われたのは、生き難く、住み難く、産み難くなったことの結果でありましょう。前掲注1の「縄文中期の土器形式と編年」に見るように、3式期は今から4710~4520年前であり、期間としては190年ほどの間のことです。忠生遺跡A地区環状大集落には後葉4式期住居が見られない、ということは、4式期には、ついに人っ子一人いない廃墟と化したと見られるのです。
 次に、埋甕、土偶と石棒の方に目を転じてみましょう。埋甕は0→18→37と変化していて、ピークは3式期に来ています。そして、土偶は埋甕と同様に3→8→28と数を増やしていって、やはり3式期が最大になっています。石棒の方は、使いまわしがきくという性格のためか数が少なく、1→1→2と変化は乏しいものの、各期を通じて土偶、埋甕とセットになって祭祀が続いたと見ていいでしょう。すなわち、埋甕、土偶、石棒の祭祀は、生き難く、住み難く、産み難い日々が打ち続く3式期の忠生のムラビトが、いかんとも生き難い状況を突破する方途をカミに頼って打開しようとする祈りの祭祀ではなかったかと思われてくるのです。
 ヒトは老いを待たずに若死し、死者の数が生者をしのぎ、次第に人口減少が目立ってくる。女性は妊娠することが希になり、早産・死産が多発する。幼児は育ちが悪く、子供はひ弱で、成長がはかばかしくない。そうした中での生と死に直接かかわる祭祀とはいかなるものであったのか?
 さきに私は幼児葬儀として埋甕葬を考察しましたが、連載第1回「◎◎◎◎とは何か?」では、巨大石棒はヒトの生き死にかかわっていることに思いを馳せました。
 ヒトは死ぬ、肉体は朽ちるが、タマシイは不滅で、あの世にいって永遠に生きるという信仰のもとで、この世からあの世にタマシイを送る葬儀が行われ、その葬儀にあってタマシイの憑代となる祭祀具が巨大石棒であった。また、石棒儀式を主宰するムラオサの葬儀に際しては、巨大石棒自身もあの世に送られたのであって、その祭祀跡が忠生遺跡A地区67号住居で発見された粉々に破砕された巨大石棒に他ならない。あの世に逝ったムラオサに巨大石棒を送り届けたのは、あの世からこの世へのタマシイの送りが期待されたからでしょう。
 あの世からこの世へヒトのタマシイを送ったら一体全体どうなるのか? この世で女性が身ごもり、やがて出産するということになりましょう。
 昭和の初めに北海道二風谷のアイヌ集落に医師として住みつき、『アイヌの信仰とその儀式』を研究したM.G.マンローの重要な発見を改めて思い起こしてください。マンローの説によれば、アイヌの信条では性交が妊娠の直接の原因ではなく、死者の魂がよみがえることによって子供は生まれてくるとされています。新しい人のタマシイがあの世からもたらされる、という信仰はアイヌに限ったことではありません。
 トロブリアンド島で未開人の性生活を観察した文化人類学のB.マリノウスキーは、あの世に行った霊が再び現世に戻りたくなると年齢を跳びこえ、小さなまだ生まれぬ胎児になるという「霊児」の神話を紹介しています。
 「人間に新しい生命を供給する唯一の源は、……若返った霊や再生するまえの胎児すなわち霊児である。生まれるまえの霊児がトロブリアンドに戻って、だれかある女――ただし常に霊児と同じ亜氏族の女の体内に入る。」(B.マリノウスキー、泉靖一・蒲生正男・島澄訳『未開人の性生活』1957.1、pp109-109、河出書房) 
 また、アニミズム研究の祖であるE.B.タイラーは、祖先や親類の魂が子供の中に入るという信仰を、アニミズムの根幹に位置付けています。
 「人の魂が他人の身体の中に何時までも移住する、新しく生まれる、再び受肉するという考え方は、特に死人の魂が、子供の身体を生かすことによって起こると考えられている。……祖先や親類の魂が子供の中に入ると信ぜられ、この種の転生は未開人の見地から考えると高度の哲学説であった親と子の相似を説明し、さらに隔世遺伝という特種現象をも説明するのに役立つ。」(E.B.タイラー、比屋根安定訳『原始文化』p.124、1962.11、誠信書房)
 「高級宗教」であるキリスト教においても、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げるという受胎告知のエピソードを残しています(「ルカによる福音書」)。
 最も卑俗なところでは、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるのですよ、というお話は、ゲルマン民族のアニミズムに根拠を置いているようです。多摩動物園のコウノトリ園舎の以下のよう看板をガイドにして胎生学を研究するのも楽しいでしょうね。
 「コウノトリが赤ちゃんを運んでくるという話は、ヨーロッパに伝わる民話のひとつです。よってここでいうコウノトリとは、ニホンコウノトリではなく、別種でくちばしの赤いシュバシコウ(ヨーロッパコウノトリ)を指しています。シュバシコウは渡り鳥で、春になるとアフリカからやってきて家の屋根に巣をつくり、さらに害虫も食べてくれることから、ゲルマン民族の間では、幸せを運ぶ鳥と思われてきました。そしてゲルマン民族は、人間は死ぬとその魂は空にのぼり、次に雨と一緒に地上に降り、そのあと沼地にたまって復活するのを待っている、と考えていたそうです。沼地にたまっている魂を新しく生まれてくる赤ちゃんに吹き込んでくれるのは、「ホレ」という女神で、この新しく命を授かった赤ちゃんを運ぶ役目を果たすのが、水辺でよく餌を探しているコウノトリ(シュバシコウ)になったのです。」(「エイミーの妊娠出産育児研究室」http://aimee33.hatenablog.com/entry/2014/10/19/221211)
 話を元に戻しましょう。神話の世界へ逸脱したのは、土偶とは何かを考える手がかりを、なんとしてでも掴みたいからです。
 そういえば、仏教も無縁ではありませんね。
 タマシイがこの世からあの世へ送られ、あの世からこの世に送り返される。そして、またこの世からあの世へ、あの世からこの世へとタマシイが送られ、無限に循環軌道に乗り、永遠のイノチが保証される。――これは「日本人のあの世観」の根幹をなしている哲理に他なりません。梅原猛の「人類哲学の創造」に依拠して、私は前回の末尾で、こう断じ、そこに循環図式も引用しましたが、しかしこの世からあの世への送りに比して、あの世からこの世への送りのイメージがイマイチはっきりしないのです。あの世からこの世への送りは、その後、仏教によって筋道立てた浄土来迎図が描かれるに至りますが、浄土はよほど住み心地がいいからでしょう、濁世への帰還については探求されてはいないのです。しかし、浄土教を引きつぎ浄土真宗を開いた親鸞は、この世からあの世へ(往相廻向)と浄土からこの世へ(還相廻向)の双方を考え、念仏業によってこの世からあの世に行き、あの世からこの世に帰ってくるという循環論を開いたと、哲学者・梅原猛は言っています。
 「このように、親鸞の浄土論を図示すると〔図10〕、私は不思議な暗合に気付くのです。それは、……日本人がおそらく縄文時代以来もちつづけていたと思われる「あの世」観と一致することです。浄土論は、源信から法然へ、法然から親鸞へと発展する過程で日本人の原「あの世」観に近づいたということになります。」(『梅原猛著作集17 人類哲学の創造』小学館、2001.12 pp.353-354)


図10 親鸞の浄土論(「教行信証」)
(出所)『梅原猛著作集17 人類哲学の創造』小学館、2001.12 pp.353

 しかしながら、親鸞も梅原猛も、あの世からこの世に帰ってくるという(還相廻向)の具体的イメージを、はっきり示し得ていません。神道では神の御魂をいただいて人間が生まれると捉え、子供は神からの授かりものと唱えているようですが、それ以上のことははっきりさせ得ていません。神道学の泰斗・折口信夫の「原始信仰」でも極めて抽象的なイメージしか語られていません。
 「人間のたましひは、いつでも、外からやって来て肉体に宿ると考えられて居た。そして、その宿った瞬間から、そのたましひの持つ力だけの威力を、宿られた人が持つ事になる。又、これが、その身体から遊離し去ると、それに伴ふ威力もおろしてしまう事になる。さう言う考へは、確かすぎるほど我々の祖先に持たれて居たのである。」(『折口信夫全集』第20巻、p.200、1967年、中央公論社)
 せめて、「ホレ」という女神が授けたイノチ(赤ちゃん)をコウノトリが運ぶというぐらいの具体的イメージを喚起して欲しいものです。
 私は、イノチがあの世からこの世に帰ってくる還相廻向の入り口に土偶が位置しているのではないか、という直感を抱きながら、このように切望しているわけです。即ち、タマシイのこの世からあの世への送りは巨大石棒に依って行われる。そして、逆にあの世からこの世へのタマシイの送りは、あの世の巨大石棒に依って行われるが、そのタマシイのこの世での受けの儀式が土偶に依って行われたのではないのか? 
 数ある考古学者の土偶論の中で注目すべき実証的研究に、渡辺仁『縄文土偶と女神信仰』(2001年、同成社)があります。この大著の結論は、「縄文土偶即神ないし家神」です。曰く、「縄文人の女神信仰は家神としての私的ないし家族的祭祀であって、万人の信仰であった。」(p.304)
 私は、縄文土偶一般を論じようとしているわけではなく、あくまで、忠生遺跡A地区から発掘された背面人体文土偶は、一体全体、何者なのかを考察対象にしているにすぎませんが、渡辺仁の縄文土偶一般論は考証史料の豊富さにおいて他の追随を許さず検討に値すると思います。図9の背面人体文土偶を縄文土偶一般論の篩(ふるい)にかけてみましょう。
 第1に、女神であること。
 乳房が大きく造形されており、妊婦とおぼしき腹の膨らみや妊娠線が認められることから女の造形であることは首肯できます。「女神」とは、女の姿をしたことと、女が必要とし・女が信じた神であることの両義があるでしょうが、後者の方もほぼうなずけます。
 第2に、家神であること。
 忠生遺跡A地点中期後葉の101住居址から43点の土偶が出ており、とりわけ後葉3式期では33住居址に37点の土偶が認められたことから見て(表2)、イエにかかわるカミであったと判断していいでしょう。渡辺仁は「家の守護神」と見なしています。イエに対する概念はムラで、ムラビト全体にかかわるのが村神であり、その中核には祖神を象徴する石棒がましましていたでありましょう。
 第3に万人の信仰であった。
 忠生遺跡A地区中期後葉の住居から土偶が出土しているところから見て、女のみならず男も、この家神を信仰していたことは疑いないでしょう。「万人」をどう定義するかの問題は残ります。ムラビト全体が信仰していたことはさておき、背面人体文土偶が猖獗した中期後葉3式期の武州地域、相州地域、甲州市域、信州市域、各々全体ということになると慎重な検討を要し、ここでは保留するしかありません。
 以上の篩から、忠生遺跡A地区から発掘された背面人体文土偶は、女神であり、家神であると言っていいでしょう。この女神・家神と、さきほどの私が想定した、イノチの受胎を切望する祈り、胎児の発育を促し・無事出産を願う祈り、出産後の授乳・発育の健やかなることの祈りと整合性があると思われます。しかし、それ以上でも、それ以下でもないアバウトな話にすぎません。
 あの世からこの世へ送られたタマシイは、一体全体、何処に、どのように帰還するのかが問題です。何処には、単純で、女性の胎内でしょう。しかし、何処から、どのような経路をたどって、母胎に霊魂が宿るようになるのかがわからない。トロブリアンド島では海水であり、ゲルマン民族においては沼水とコウノトリが介在していました。民俗学においては、折口信夫は海を、柳田国男は空、山の上を祖霊の帰還するところと想定しています(「日本人の神と霊魂の観念そのほか」、宮田登編『柳田国男対談集』所収、1992.11、ちくま学芸文庫)。神とまぐわって、ヒトの子を宿す処女懐胎神話が世界各地にあり、日本の「古事記」には神功皇后伝説がありますが、縄文の世にもそうした神話(人話)がつくられ信じられたのでしょうか。
 この世でタマシイは女性の胎内に入って受胎し、発育し、やがて月満ちて出産に及ぶことになる。人口減少に見舞われる中で、イノチの受胎を切望する祈り、胎児の発育を促し、無事出産を願う祈り、出産後の授乳・発育の健やかなることを祈りとして、土偶祭祀が行われたという可能性が考えられないか?
 縄文後期後葉の忠生村において、大形石棒と室内石棒+埋甕に加え、背面人体文土偶を使って如何なる祭祀が執り行われたかを推測するには、アイヌの社会に伝わる、子宝を授かるためのウワタマという呪術的儀礼を見逃すわけにはいきません。
 「結婚後、数年経っても子宝に恵まれない場合には、子宝を授かるためウワタマという呪術的儀礼を行った。これは鳥(チカツブ)の卵を不妊婦の胎内に入れるという呪術である。鳥の仲間でも卵をたくさん産むにわとり(ニワトリ・チカップ)、こばん(オケラ)、おしどり(チライマ・チリ)などの卵(ただしあおげら、きつつきの卵を用いることは忌む)を膳に載せ、炉の横座の花茣蓙の上に置き、不妊婦の夫の父あるいはそのような呪術的儀礼の心得のある故老がやる(夫はやってはならぬという)。この時祈る神は、⑴火の神(アペ・フチ)と、⑵産の神(ウワリ・カムイ)の二神で、各々チェホロカケップ幣を供えるが、「火の媼神」には、横座の前の本座寄りにある台木(イヌンペ・サウシペ)の前に、一―二本、産の神(火の媼神の配下の神といわれる)へは、火尻に、いつも炊事したり暖をとったりする火とは別に、火を焚き(この火を産火という)、その前に立てるのである。
 火の媼神と産神に祈る呪い詞(ポ・ラマツ・エ・イノンノ・イタック=子の魂への祈り)の要旨は――『今まで子宝の授からない夫婦の臥床(シンタ)の上に、子ども(ポ・ラマツ)魂(子種)になるように卵を送り届けてくれるように祈願する』――にある。「火の媼神」と「産の神」に供えたチェホロカケップ幣に、酒箸で灌酒し、先の呪い詞を述べたら、膳の上に載せてあった卵を不妊婦の胸に打ちつけて壊すか、あるいは卵を割って、呑ませる。呪いの効果があって、女が妊娠した場合は、酒を造って、感謝の祈りをする。」
 妊娠後の打ち続く儀式は以下のとおりです。
 妊娠2-3か月目―――受胎の祈り
 妊娠5か月目――――着帯の祈り
 妊娠6-7か月目―――妊婦の身体を祓い清める儀式
 (以上は久保寺逸彦「妊娠と出産」(アイヌ文化保存対策協議会編『アイヌ民族誌』1970年、第一法規出版社所収、pp.456-457)

 さて、第2回、第3回、第4回と連載を重ねて、土偶と大型石棒、室内石棒+埋甕祭祀とが、どのように関連しているのかについて大まかな見当をつけました。次回から背面人体文土偶は、一体全体、何者なのかを、正面切って論究していくことにしましょう。
 
   
蒼蒼 目次へ >>